フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

『フィデリオ』 (1805年版) 2010年5月28日 コーミッシェ・オーパー

2010年5月28日(金)Fidelio (1805)

Komische Oper

Dirigent: Martin Hoff

Inszenierung: Benedikt von Peter

Leonore: Ann Petersen

Florestan: Will Hartmann

Marzelline: Karen Rettinghaus

Jaquino: Thomas Ebenstein

一階一列右8番

 今日は普段の一列目は0列目となっていた。そこも演出の一環で使われた。今日は1805年に初演された第一版による上演だからレオノーレ序曲第二番が演奏されるかと期待していたら序曲は何も演奏されずいきなり始まるという。突然会場が真っ暗になり、明るくなったかと思うと工事現場の従業員の格好した人たちが最前列に微妙に残っていた(多分あれが本来の一列目、今日の00列目)数席をねじを電動ドライバーではずして舞台裏にしまい始めるところから始まった。序曲が無かったのはちょっと残念。舞台には監獄らしきものはなくゴミを捨てるコンテナだけ。今日は舞台前面、オーケストラピットに半分かかるくらいまで鉄網で舞台が延長されていてその部分も大いに活用された。何回か歌手たちが両脇の階段から客席の方に降りてきて歌ったりした。凄い近かった。やっぱり余計なこと言わず近くに座るべきだね。新国の一番遠いところと最前列じゃ当然情報量が違いすぎる。もちろんその場に居合わせることが大事だけど。今日思ったけどここホールはオペラが聴きやすい音響だと思った。ただ自分が前にいたから良かっただけか?いやそれでも残響の感じが良い感じであっさりしていて。このホールなんか好き。雰囲気が。

 このヴァージョンだと物語の進行があんまり良く分からない気がするけど。なんでそうなる、進むのかわからずに進んでいく感じ。もともとだいたい知ってるからまだわかる、ついていけるものの。マルツェリーナ活躍。この版だとたしかにこの演出家が言うように各登場人物が前面に出ている印象はある。通常の版だとメイン二人がもろに強調されるのに対して。おそらくそういうものだと思って観てたから、意外にそうでもないことで少し違和感、ん?、っていう感じになったのだと思う。でもそれは頭のわきで感じていただけであって、この作品を観た感想としては、これじゃ面白くはないなというものだった。マルツェリーナはパートとしても良いと思ったけど、何より今日のマルツェリーナ役の歌手が良かった。今日一番。声が全然違う。こんな歌手がまぎれてるなんて。わざわざ体験しないとわからないようなことではないけども、やっぱり知らないだけで素晴らしい歌手は世界にたくさんいるなという思いをより一層強く持った。監獄の見張り?たちはなんかフランス兵の格好してるし。レオノーレとフロレスタンは時折、いやしばしばせりふのときにマイクが入っていた。

 最後は合唱の迫力。フロレスタンとロッコ?0列目で抱き合う。合唱降りてきてる状態からそのまま歌いながら一階両サイドのドアから退場して行く。ずれまくりだけどベートーヴェンのここの音楽はこれくらい意気込んでても良いのかなとか思いながら聴いていた。これで曲は終りだけど幕はまだ降りず、マルツェリーナとジャッキーノがなにやらばつが悪そうに眼を合わせここで幕という最後はちょっと余計な感じで失笑ももれつつ終り。

 隣に座っていたドイツ人と仲良くなった。休憩中にも外で話して、終わった後も一緒にフリードリッヒシュトラーセ駅まで一緒に帰った。初めてホフマン物語って言ってあの好きなアリアの話が合った。驚き。

今日はオーケストラピットがほとんど見えない状態だったのでカーテンコールで指揮者が舞台に来てから団員達も全員舞台に出てきた。トランペットはまずオーケストラピットから、二回目が舞台上の私服の奏者。

 

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