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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

Goehtes Gedanken über Musik(4)『ドン・ジョヴァンニ』について

Goehtes Gedanken über Musik, 1985, Insel Verlag. 『ゲーテの音楽思想』

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 前回の『後宮からの誘拐』に続いて今日は『ドン・ジョヴァンニ』について交わされたゲーテとシラーの手紙を紹介します(本文pp. 184-185)。

 

「古代のバッカスの祭りの合唱からのようにそこから悲劇がある高貴な形態のなかで解き放たれるべきオペラに、私はいつもある種の信頼を抱いていました。オペラにおいては実際にあの卑屈な自然模倣が許され、ただ寛容の名のもとにおいてではありますが、この道において理想的なものが劇の中へとひそかに入り込むかもしれないのです。オペラは音楽の力と感性のより自由な調和的な刺激によってより美しい胎動を感じさせます。ここには本当にパトスにおいてさえもより自由な芝居があります、なぜなら音楽が同伴しているからです。そしてここで一度認められる素晴らしいものは必ず素材に対してより無関心にさせなければならないのです。」
1797年12月29日、シラーからゲーテへ

 

「あなたは、あなたがオペラに持っていた希望が、最近『ドン・ジョヴァンニ』において高いレベルで満たされているとみなしたでしょう。しかしそれに関してはこの作品も孤立していて、モーツァルトの死によってそうした似たようなものへのすべての見通しは挫折しています。」
1797年12月30日、ゲーテからシラーへ


 ゲーテとシラーはよく手紙のやりとりをしていたそうです。前半のシラーからの手紙は言い回しが面倒くさく意味が伝わりにくいですが私の語学力の無さに免じてご容赦を。それと、あまりかけ離れた意訳はなるべくしたくないというのもあります。というのもそれはそれでそういうものだからです。難しいものは難しいのであって、やさしくわかりやすく訳してはそれは解釈になってしまうのです。現代ではドイツ人にとっても「うぇ、シラーかよ」みたいな感じのようです(そういえばプリズン・ブレイクのシーズン4のどこかでリンカーンが「シェイクスピアは嫌いだ」と言っていましたね。そんな感じでしょうか)。ある演劇学を専攻していたドイツ人の先生がシラーの演劇を観た時の話をしてくれましたが面白かったです。使われている言葉もいかにも固く古臭く、一文一文が長い。それで「ん?今こいつが喋っている文の動詞はなんだった?もう通り過ぎたか?いやこれから来るのかも。あれ…」という状態になるそうです。まぁ多少誇張しているかもしれませんが母語話者であるドイツ人でもそんな状態に陥りかねない。

 で、前半のシラーの手紙の内容で一番重要なこと(最後の一文ですね)をわかりやすく説明するとつまり、音楽は素材に対して人を無関心にさせる、そのような素晴らしいものであるべきことを主張しています。素材というのは舞台でいえばその舞台そのものや、衣装や道具といった具体的な物質的なものです。無関心にさせるというのはそういった具体的なものからもっと抽象的な、崇高なものへと連れて行くということです。それが音楽です。音楽には絵画でいうキャンバスや、絵具といったものはなく、目に見えず鳴ってはすぐ消えていく音によって構成されています。この「構成」というのが音楽の肝です(九鬼周造も「音楽は流動する建築」と『「いき」の構造』で書いています。おそらくシェリングから引いている)。

 後半のゲーテの手紙ではシラーが抱く希望を実現してくれそうだった、実際『ドン・ジョヴァンニ』などですでにしていた、モーツァルトが早世してしまったと。ないものねだりは付き物ですが、私もモーツァルトがあともう少し生きていてくれたら一体どれほどの作品が!とか、死の間際でもまだ楽譜上に書かれていないだけで彼の頭の中にはその後書かれたであろうたくさんの音楽があったんだろうなとか考えてしまいます。

Goethes Gedanken ueber Musik

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