フィルハルモニ記

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Goehtes Gedanken über Musik(6)『ドン・ジョヴァンニ』2

Goehtes Gedanken über Musik, 1985, Insel Verlag. 『ゲーテの音楽思想』

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 今日は『ゲーテの音楽思想』から『ドン・ジョヴァンニ』についてのゲーテの言葉を再び紹介します。ドン・ジョヴァンニ関連で紹介するのはこれで2回目です。

 「同じようにぶしつけにも」とゲーテは続けました。「フランス人は自然の産物について話すときに構成という表現を使う。しかし私はひとつずつ作られた機械の個々の部分をうまく構成できるし、そうした対象の場合には構成についても語ることができる。ただそれは、個別に生き生きと自らを形作り共通の魂によって貫かれたひとつの有機的な全体の諸部分が問題となっている場合にではない。」

 私(エッカーマン)は答えました。「それどころか私には、構成という表現は美術と詩の真の作品の場合にもぶしつけで誹謗であるかのように思われるのですが。」

 「それは本当にひどい言葉だ。」ゲーテは答えました。「我々がフランス人の中に思い描く言葉であり、できる限り早く再び追い払わなければならない言葉だ。一体どうしたらモーツァルトが彼のドン・ファン(Don Juan, ドン・ジョヴァンニ)を構成したなどと言えるのだ!構成!*― まるで卵、小麦粉、砂糖からかき混ぜて作る一切れのケーキやビスケットであるかのように。― 精神的な創造物というのは、個々が調和のとれた完璧な全体のようであって生命の息吹によって貫かれている。その際には生み出す者は決して試してみたり、つなぎ合わせてみたり、恣意に従ったやり方をするのではなく、彼の天賦の才の悪魔的・超自然的霊が彼を支配すると、彼は作り上げなければならないのである、人が要求するものを。」(p. 186)


*この会話で問題となっている「構成」とは原文では"Komposition"(Eng. composition)という単語。原意は"com(共に)-posi(置く)-tion(…こと)"。個々の物を共に置いたりつなぎ合わせたりして構成するということ。それが音楽にも持ち込まれて、音を共に置いて構成すること=作曲するという意味も持つことになります。そういった背景があるのでこの会話を日本語に翻訳してもそのままでは真意が入ってきません。ゲーテが言いたいことは、モーツァルトはkomponieren(Eng. compose)などはしていない、すなわち色々な材料を混ぜ合わせケーキを作るようにつなぎ合わせたりしているのではなく、天賦の才によって超自然的な霊を感じながら人類の要求するもの=普遍的なものを創造しているのだ、ということになります。

 

ちなみに

日本語の「作曲」は文字通り「曲を作る」ということなので単語の成立背景がずいぶん異なります。ヨーロッパの主要な語では英composition, 独Komposition, 仏composition, 伊composizione となっていて、ラテン語compositio=「共に置く」を起源としています。

Goethes Gedanken ueber Musik

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