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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ベルリン・フィル演奏会批評(現地新聞抜粋) 「ベルリン・フィル・ラウンジ」第20号:「今シーズンで最も胸をえぐる演奏会」~ラトルのマタイ受難曲 2010年4月

たまたま見たHMVのページで過去に自分が聴きに行って印象に残っていた演奏会(マタイ受難曲 ラトル指揮 ベルリン・フィル 2010年4月10日 ベルリン・フィルハーモニー)の批評が特集されていたので引用してみました。

ベルリン・フィル演奏会批評(現地新聞抜粋)

「今シーズンで最も胸をえぐる演奏会(『ベルリナー・ツァイトゥング』)」~ラトルのマタイ受難曲

2010年4月

【演奏曲目】

バッハ:マタイ受難曲

ソプラノ:カミッラ・ティリング

メゾ・ソプラノ:マグダレーナ・コジェナー

テノール:トピ・レティプー(アリア)、マーク・パドモア(福音史家)

バス:トーマス・クヴァストホフ(アリア)、クリスティアン・ゲルハーヘル(イエス)

合唱:ベルリン放送合唱団、ベルリン国立および大聖堂少年合唱団

演出・舞台:ピーター・セラーズ

指揮:サー・サイモン・ラトル

 この春、ベルリン・フィルでの一番の話題は、ラトルがバッハのマタイ受難曲を振ったことでしょう。ラトルはまず3月にバーミンガム市響でこの曲を初めて演奏し、その後ベルリン・フィルとザルツブルク・イースター音楽祭で上演。そして最後に地元ベルリンの聴衆に披露するという入念なプロセスを組んでいます。今回は、ピーター・セラーズが上演を「リチュアライズ(儀式化)」するというもので、それについては当初懐疑的な声も少なくありませんでした。しかしコンサート後の批評は、全紙が上演が総じてたいへん説得力のある、見事なものであったと報じています。

 こうした宗教作品の場合、スピリチュアルなメッセージを視覚化することは、作品を矮小化してしまうことが多いものです。しかしセラーズは、表現を歌手と合唱の所作に切り詰めることによって、真摯な調子を生み出すことに成功。同時にラトルの音楽も、「歴史的解釈を今日的な意味と融合させるもの」で、ラトルらしい「ハイブリッドな」演奏になっていたと評されています。彼にとっては、大きなチャレンジであったと思われますが、ベルリンに来てから8年が経過し、活動にもいよいよ本腰が入ってきたというところでしょう。

「この晩ピーター・セラーズは作品の“儀式化”を行ったが、上演は新しい音楽解釈とともに、今シーズンで最も胸をえぐる、素晴らしい演奏会となった。ラトルは8年前のヨハネ受難曲では、激しいコントラストを強調していたが、今回のマタイ受難曲では穏やかな流れを重視していた。最初の合唱は柔らかくスタートし、徐々にクリアーな輪郭を得てゆくといった風情。そこで彼は、歴史的演奏解釈とそれ以降の自由なスタイルを往来するような、ハイブリッドな演奏を聴かせた。聴き手にとっては、目から鱗が落ちるような解釈である。観客は演奏に絶大で、感謝に満ちた喝采を送った。3時間半という長さにも関わらず、人々は演奏に深く引き込まれたのである。それはこの上演が、歴史的な価値を今日的な意味に置き換えることに成功していたからであった(2010年4月12日『ベルリナー・ツァィトゥング』ペーター・ユーリング)」

「宗教的にみれば、本来この上演はでたらめばかりである。それにも関わらずセラーズの舞台は、観ていて小恥ずかしくなるようなことは決してなかった。天上からは電球がひとつ吊られており、舞台中央には木の棺(あるいは祭壇)が置かれている。同様に木の椅子がステージに散らばっているが、教会的な空間を示唆するには、これで充分なのである。そこで歌手とオーケストラ団員は普段着を着て演奏・演技していた。ちなみに器楽ソリストは、この晩のハイライトであった。ダニエル・スタブラヴァが弾く<我を哀れみたまえ(アリア)>のソロは、ヴァイオリンから聴くことのできる最も美しい響きである。ゲスト出演したヒレ・パールは、そのゴシック・ルックだけでなく、見事なガンバ演奏でも衆目を浴びた。クリスティアン・ゲルハーヘルの叙情的なイエス、トーマス・クヴァストホフのバス・アリア、マーク・パドモアのイギリス的な福音史家は、器楽奏者の力に応えようと、全力を尽くしていた。マタイ受難曲は、オペラの衣を着たオラトリオと呼ばれるが、それは劇的な緊張や物語的展開が作品に内包されているからである。ラトルとベルリン・フィルは、劇場的に大げさな表現を避けたが、これにはたいへん好感が持てる。音楽の運びは生き生きとして、よく流れると同時に、テンポやダイナミックには豊かな息遣いがあった。それは音楽的修辞法に影響されたものだが、一方ではラトルとしては意外なほどの強い自己同化を示すものでもあった。彼がその両端をひとつにまとめ上げていたことこそが、この上演の最も素晴らしい点だっただろう(2010年4月11日『ターゲスシュピーゲル』クリスティーネ・レムケ・マトヴァイ)」

「ピーター・セラーズは、バッハの“音楽的聖書”を心に訴えかけるかたち語らせることに成功していた。彼はバッハのマタイ受難曲を演出するのではなく、舞台上で“儀式化”したのである。“儀式化”というネーミングは、正直言ってわざとらしく聞こえる。しかし彼の仕事は、そうした物々しさ、尊大さとは無縁のものであった。それはサイモン・ラトルの解釈についても言える。オケは理想的な演奏ぶりを示し、合唱も完璧。ソリストの力量と音楽的教養は、きわめて高い水準にあった。ザルツブルク・イースター音楽祭で練り上げられた演奏は、この日音楽的奇跡のレベルにまで高まったのである(2010年4月11日付け『ベルリナー・モルゲンポスト』クラウス・ガイテル)」

(HMV "「ベルリン・フィル・ラウンジ」第20号:「今シーズンで最も胸をえぐる演奏会」~ラトルのマタイ受難曲" より引用)

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