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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

Goehtes Gedanken über Musik(7)『魔笛』

Goehtes Gedanken über Musik, 1985, Insel Verlag. 『ゲーテの音楽思想』

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 今日は『ゲーテの音楽思想』から、モーツァルトの『魔笛』に関する部分を紹介します。ゲーテが『魔笛』の第2部の構想を持っていたことは知られていますが、実際にどのくらい真剣に考えていたかなどは私もあまり詳しく知りませんでした。本書を読んでその点について少し明らかになりました。

 「もし『魔笛』の続きに関して本当に巧みで好まれている作曲家がいないのであれば、まあ座ってください、あたしが恐れているのは、恩知らずな聴衆たちが出てくるという危険に陥ることです。というのは、発表の際にでさえ台本というのは、もし音楽が上手くいかなかったら、オペラを救うことはないからです、むしろ人は詩人にその不適切な効果の償いをさせるのです。」このシラーの警告にもかかわらずゲーテは『魔笛』の続編の計画に固執していて、彼は題材に何年も取り組んだ後にその続編を第2幕の始めまで仕上げていた。作曲家パウル・ヴラニツキー*、ウィーンの両宮廷劇場の音楽監督、をゲーテは彼の『魔笛第2部』の作曲に引き入れようと願った。―それは無駄に終わった。
(本書p. 186)

 *Paul Wranitzki(-tzky)、チェコ語Pavel Vranický(1756-1808)ボヘミア出身の作曲家・指揮者。モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンと親交があった。ハイドンは1799年と1800年の『天地創造』の演奏会を彼が指揮することにこだわった。また、ベートーヴェンの依頼により、彼の第1交響曲初演を指揮した。 
 

「何日間か『魔笛』にかかわり、3年前から始めていた仕事を再び取り上げ練り直すのは面白くなくはない。私はただ行動することでのみ考えることができるので、その際には再び、私の主観にも戯曲全体にもオペラにも特にそしてもっとも作品に関わる本当に良い経験をしました。この作品を最後には中庸の雰囲気の時代でもやり通すことは悪くはないでしょう。」(pp. 187-188.)
1790年5月12日、シラーに宛てて

  

 1790年の手紙の中で「3年前から始めていた」と言っているので1787年ということになりますが、モーツァルトの『魔笛』の初演は彼の死の年の1791年なので疑問が残りますね。『魔笛』に取り組むことと、3年前から始めていた仕事は別であるとも読めますが、それにしても初演の前年です。困った時のWikipedia(日・英・独)をさっそく覗きましたがわかりません。ちなみにゲーテの続編構想にに触れていたのは日本語版だけでした。英語版は作品の背景、啓蒙思想だとかフリーメイソンだとか、ドイツ語版は時代ごとの受容に重点が置かれていました。

 本書には『魔笛』に関するゲーテの言葉があといくつかありますがそれはすべて1791年以降のものです。上記のヴラニツキーに宛てた手紙の内容も載っています(p. 187)。それは1796年となっています。一つの可能性としては、ゲーテは実際の上演に触れる前から「魔笛」という素材に興味があってそこからその続編を書きたくなった、ということが考えられなくもない。その場合にはシカネーダーが書いた台本が正確にいつ完成したかなどが分かればいいのですが…。しかし、これはおそらくなさそうです。というのは、ゲーテの第2部構想はやはりモーツァルトの『魔笛』に触発されて生まれたものらしいからです(宇津井 1994→京都教育大学紀要No. 85 1994)。

 結局ゲーテの第2部がオペラになることはなく、その断片が1802年に出版されるにとどまりました。

 モーツァルトが死の年にシカネーダーの台本に作曲したジングシュピール、と簡単には知っていてもその背景にはいろいろわからないことが出てくるものですね。

 

Goethes Gedanken ueber Musik

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