フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

パウル・クレー展 東京国立近代美術館

 今日は東京国立近代美術館で「パウル・クレー展」を観てきました。

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 パウル・クレー(スイス, 1879-1940)がドイツ人ということでドイツ人講師と大学院生で集まって観に行ってきました。パウル・クレーはちょうど5年前にスイスのベルンにできたパウル・クレー・センターの開館を記念して東京駅でも展覧会が行われたときに一度だけ観に行ったことがありました。その時は一人であの抽象的な絵を眺めるだけであまり面白くなく、退屈な画家だな、くらいに思っていました。ただ「線と色彩」の再構成にこの画家の関心が向けられていることはいやでも頭に残りました。

 今日はその程度の記憶を辿りながら美術館まで行きました。着いて驚いたのは、思っていたよりもはるかに来館者が多かったことです。もちろん並ぶほどではないですが、展示物ごとに隙間なく人がいるという具合です。つまらない画家だと勝手に決め付けていたのでこれには驚きました。しかも平日の午前中だったのでなおさら。帰ってきて5年前に買った小さいカタログ(クレーART BOX 線と色彩(講談社 2006))を読んでみると「クレーがなぜ日本で愛好されているのか」(p. 9)なんてことが書かれているので人気があるということなのでしょう。

(5年前(=2006年)のパウル・クレー・センター開館を記念して出版されたカタログ。サイズが小さく手に取りやすい)

 展示はすべてクレーの作品で、9600点にも及ぶクレーの作品のうち180点が展示されています。展示の構成もなかなか上手く親切でそれも良かったと思います。おかげでパウル・クレーが少し身近になりました。なんとなく彼の方法が理解できてきた気がしました。ただいまだに疑問なのは、プロセス3の切断・分離の部門の作品でした。もとの1つにまとまっていた(1つものとしての)作品が切り取られてそれぞれ新たなタイトルを与えられているのはどういうことでしょうか。最初は特定の物を想定せず、切断した後にその場でタイトルを与えたとすると、最初のものはどういうつもりで描いたのかが疑問です。切断する前からそれぞれ今あるタイトルを与えられる予定であったならば、一度一つの物として描いてから切断するという面倒なことはしないで始めから別々に描けばいいのですから、なおさらこの疑問が浮かび上がってきます。その場でもそのことについて一緒に観ていた講師とも話しましたが結局のところどうなのかわからないので疑問のままとして残しておきます。

 全体として作品数もその内容も良いと思いました。後半の方にはプロセスに焦点が当てられていて、それがなかなか面白かったし貴重だと思いました。というのは、例えばプロセス1の「写して/塗って/写して」の部門ではそれぞれの段階の物が並んで初めて、プロセスを見るという点で価値が出てきます。それらはそれぞれ必ずしも同じ美術館に所蔵されているとは限らず(素描はベルンにあって油彩はニューヨークにあるなど)いつもこのように並べて比較したりできるとは限らないのでこういう機会は貴重だと思いました。その他にも純粋にきれいだなと思える作品もありました。期待していたよりも良い美術展でした。有名画家、例えばフェルメールとその時代、などと銘打ってほとんどが同時代人で本人の作品は2点かそこらというのに比べたら(まあフェルメールは現存する作品数自体が少ないので仕方ないですが)、一つの美術展としての質は高いかもしれないですね。パウル・クレーをしっかり観ることができる美術展でした。

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