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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ヴェルディ『ナブッコ』 2013年6月4日 新国立劇場

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ヴェルディ『ナブッコ』

2013年6月4日(火) 新国立劇場
指揮:パオロ・カリニャーニ
演出:グラハム・ヴィック
ナブッコ:ルチオ・ガッロ
アビガイッレ:マリアンネ・コルネッティ
ザッカーリア:コンスタンティン・ゴルニー
イズマエーレ:樋口達哉
フェネーナ:谷口睦美
東京フィルハーモニー交響楽団

座席 4階2列8番

 このD席のチケットは一般発売日をとっくの昔に過ぎた3月前半に、たまたまインターネットでチェックした時に全6回公演中唯一見つけた1枚、おそらく最後の、どういうわけか残っていた謎の1枚である。新国によく行く方ならわかると思うが、ただでさえ以前に比べてはるかに取りにくくなったD席が発売後何週間、何ヶ月も経って売れ残っていることなど到底考えられない。しかも今回の『ナブッコ』は新制作である。演目によってはC席より上の価格チケットなら残るものだがD席が残ることは新国でのオペラ公演の場合どんな演目であってもめったにあることではない。アトレ会員向けの先行発売と一般発売初日を経てまずD席は消えることになっている。これをいかに取るかが新国オペラファンにとっての課題であるが、それが残っていたのである。何か事情があってのことだろう。おさえたが発券しなかった等々。

 この『ナブッコ』を観ればヴェルディの主要オペラはだいたい観たと言っていいことになる。が、このナブッコがネブカドネザルのことだと知ったのは恥ずかしながらつい最近になってからだった(Nabucco, it., Nabuccodonosor = engl., Nebuchadnezzar, dtsch., Nebukadnezar)。言い訳をすると、これはいつも言っていることだが、初めて観るオペラは予習しない主義でこれも劇場に行ってからのお楽しみということで簡単なあらすじさえも読まずにいたのだった。

 まあそれはいいとして、いざ座席に向かうと舞台の幕は上がっていてエスカレータのあるショッピングセンターで人びとが歩き回っている状態だった。演出家のグラハム・ヴィックが日本でこの作品を上演するにあたって唯一神の扱いをどうするか云々言っていた。理解はできるのだから奇を衒わずにやればいいと思うのだが、自然の力に置き換える云々。雷や、舞台全面に植えた木で表現したつもりであろうか。もし唯一神の観念が伝わりにくいと考えているなら、むしろ下手に現代に置き換えたりせずに上演したほうが、歴史的なものとしてもっと入り込め、そこに観客たちが普遍性を見出すこともしやすいのではないか。理解はできるはずだ。バッハのマタイ受難曲に感動する日本人はたくさんいるではないか。プログラムに載せた演出家の文章を読めば、理解するだけでなく共感を求めている、共感を持って観させることを目指しているのだろうが、そうであればなおさらこの演出は失敗作だ。最後に「ヤハウェよ、あなたの前では私達は取るに足らない存在です」などど大合唱されては何の一貫性も見出せない。白けて終わりだ。台本がそうなっているのだからこれはそもそもそういう作品なのであるが、だったらそれそのものとして素直にやればいい。日本人には理解できないんじゃないかなどといって下手に手を加えるから全体のバランスが悪くなり余計に何の話かよくわからなくなる。あらゆる焦点がぼやけてしまっている。だから最後の部分は、デウス・エクス・マキナ(Deus ex machina)にすらなっていない。これだけ不出来な演出はなかなかないのではないか。作品も違うし比較したところで仕方ないのであるが、5月のコンヴィチュニー演出の『マクベス』(→ヴェルディ『マクベス』 2013年5月1日 東京文化会館 二期会 コンヴィチュニー)とは雲泥の差だ。心に残らない鑑賞体験の典型例と言える。ある意味残ったが…。

 音楽的には馴染みのヴェルディ節でどこかで聴いたような箇所がたくさん出てくる。アビガイッレ役のマリアンネ・コルネッティが登場したときはあまりの体格の良さに驚愕するも声量十分で、聴くことに専念することによって非常に楽しむことができた。

 今回一番の発見は次女であるフェネーナを歌った谷口睦美がとても良かったことである。樋口達哉が歌うイズマエーレと愛を誓う仲で2人の掛け合いがある。イズマエーレ役は発音、発声からして目をつぶっても日本人歌手だとわかるが、フェネーナは途中までヨーロッパ人だと思っていた程だった。声も出ていたし発音も良かった。イズマエーレ役の樋口達哉は下手ではないのだが、(日本人)テノールにありがちな、上手く聴かせようとか自分を良く見せようという傾向が垣間見えて、それがいちいち耳につく歌唱だった。言ってみれば、イズマエーレが歌っているというよりは樋口達哉という人間がそのままそこで歌っているだけといったところだ。本当に良い歌手はそんなことを観客には決して感じさせないし感じさせてはいけない。谷口睦美はアビガイッレ役のコルネッティに次ぐ素晴らしさであった。今回この2人がいなければ救いようのないプロダクションになっていたことであろう。谷口は容姿も映え、発声、発音、役としての歌唱といったあらゆる面で素晴らしかった。そう思える日本人歌手は意外と少ない。中嶋彰子、森麻季、砂川涼子などは上手いと思うが、森麻季のCDを持っていてしっかり聴いてしまうと発音はやっぱり気になる。森麻季は2005年にソフィア国立歌劇場が上野で『リゴレット』を上演した時にジルダを歌っているのを聴いてこんな良い日本人歌手もいるんだなあと思いCDを買ってみたのだった。砂川涼子は2006年に新国で『魔笛』を観たときに上手いと思った。出演していた日本人歌手の中では一番ドイツ語がきれいだったと思う。中嶋彰子に関しては誰も文句はないだろう。ちなみに、今までで一番うんざりしたのは2005年新国の『ホフマン物語』でニクラウス/ミューズを歌った加納悦子。上演全体の品を下げるレベルの発音の悪さ、うっとおしさで聴くに堪えなかった。

 ともかく、谷口睦美は上手かった。それは良かったのだが、タイトルロールのナブッコ役ルチオ・ガッロが駄目だった。音程が全部ぶら下がっていて、声量も不十分。いろいろと有名な歌劇場で歌っているようなので今日は調子が悪いだけなのかなどと休憩中は思っていたが、後半の見せ場でもあまりにひどいので観客の拍手も低調。カーテンコールでアビガイッレ役のマリアンネ・コルネッティが拍手喝采でBravoも連発だったが次に出てくる彼にはBravoが出るはずはなく、鮮烈な対比だった。むしろブーイングが出てもおかしくない出来だった。カーテンコールで彼が出てくるまでにやや長い間があったのだが、そうした間も拍手喝采の後に自分が出て行くのが恥ずかしいから、ブーイングを受けたくないから逃げたんじゃないかなどと思ってしまうくらいであった。これは当日調子が悪かったのか、もともとこんな程度なのか判断しかねる。もしこれをお読みで他の日程で聴いた方がいらしたらぜひコメントをお寄せいただきたい。

 今回はいろいろと引っかかることの多い公演だったが、久しぶりに新国のオペラ劇場の雰囲気を味わった。「私の鑑賞履歴表」で振り返ってみると、新国のオペラ劇場の方でオペラを観るのは2011年の『イル・トロヴァトーレ』(→ヴェルディ 『イル・トロヴァトーレ』 新国立劇場 2011年10月11日)以来になる。どうりで懐かしい気分になったわけだ。クロークを通り過ぎた所にエスカレータができているし、クッションが全席についているし。あれは確かに観易かった。またあれもこれも観たくなってきてしまった。

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