サルトル『アルトナの幽閉者』 2014年2月24日 新国立劇場・小劇場
ジャン=ポール・サルトル『アルトナの幽閉者』
2014年2月24日 新国立劇場・小劇場
翻訳:岩切正一郎
演出:上村聡史
レニ:吉本菜穂子
ヨハンナ:美波
ヴェルナー:横田栄司
父:辻萬長
フランツ:岡本健一
親衛隊員:北川響
クラーゲス中尉:西村壮悟
ハインリヒ軍曹:北川響
[声の出演]女:山本道子
座席 1階D3列5番
初めてのサルトルの戯曲。シーズンプログラムで知りずっと観ようと思っていた。興味深いという意味で面白い。"interessant"だったといったところか。とりあえず観に行った甲斐はあった。
初演は1959年とのこと。斬新という言葉では片づけられない奇抜な戯曲、演出を観て(観させられて)いる現在、この『アルトナの幽閉者』を観てショックを受ける人はいないだろう。舞台も展開も複雑ではない。劇が始まれば状況は掴める。ただし、なんとなく観ているとわからないのは登場人物たちだ。例えばヨハンナがなぜあんなに夫ヴェルナーの父に反抗してあれこれ言ってつっかかるのか、あの部屋に13年間閉じこもるフランツがいるらしいがだからどうしたというのか、整合性を見つけることができずこの作品が出来の悪い2流、3流の戯曲にしか思えなくなり観ているのが苦痛になる。冒頭の父とヨハンナの言い争いがただの茶番に見えて仕方ない。重要な役割を果たすヨハンナの性格がよくわからない。何を考えているのかよく見えてこない。それはこの劇をシェイクスピアを観るような態度で観ていたからだ。公演プログラムをぱらぱらめくり伊藤洋氏の解説(p. 10-11)を読み合点がいく。
性格劇に対しサルトルが提唱する「状況の演劇」。『アルトナの幽閉者』もまさにそれに属する。ここでは登場人物の性格は重要視されていない。むしろ意図的にそぎ落とされている、あるいは登場人物の性格付けをしないようにしていると言っていい。それもそのはずだ。ある状況に投げ出された人間、謂わば状況内存在がその都度その都度行動する、そこに注目させたいのであれば、特殊・個別的な性格は余計な要素と言えるからだ。性格があって、だからそうするという演繹的な構図ではない。そうするから、そういう人物になる/に見えてくるという帰納的な構図だ。
始めから理論を持ち出して都合よく当てはめて納得して終わるのでなく、実際に観て考えながらサルトルの試みを体験するという貴重な経験だった。私の信条「自分にとっての新作は予習しない」の功罪の功の部分と言えるかもしれない。