フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

パイジエッロ『セビリアの理髪師』 ヤーコプス指揮 フライブルク・バロックオーケストラ アン・デア・ウィーン劇場 2015年2月20日

Barbiere quer

Theater an der Wien

Il Barbiere di Siviglia

Dramma giocoso per musica in zwei Akten (1782/87)
(http://www.theater-wien.at/index.php/de/spielplan/production/153460)

Musik von Giovanni Paisiello

Libretto von Giuseppe Petrosellini nach der Komödie "La précaution inutile ou le Barbier de Séville" von Pierre Augustin Caron de Beaumarchais

In italienischer Sprache mit deutschen Übertiteln(ドイツ語字幕付きイタリア語上演)

Musikalische Leitung: René Jacobs

Inszenierung: Moshe Leiser, Patrice Caurier

Bühne: Christian Fenouillat

Kostüme: Agostino Cavalca

Licht: Christophe Forey

Il conte di Almaviva: Topi Lehtipuu

Rosina: Mari Eriksmoen

Bartolo: Pietro Spagnoli

Figaro: Andrè Schuen

Don Basilio: Fulvio Bettini

Il Giovenetto | Un alcade: Erik Årman

Lo Svegliato | Un notaro: Christoph Seidl

Orchester: Freiburger Barockorchester

6 (2.), 6 (1.), 4, 3, 3(チェロがど真ん中、ヴィオラは1.と2.の後ろ、Cb.は左に2人右1人)

立ち見 右側

 40分ほど前に着いてあっさり立ち見券を購入。アン・デア・ウィーン劇場では立ち見の人たちは左右の入り口前に並び、開演30分前になると係員に誘導されるようになっている。場所を決めたら、ウィーンでの共通ルール通り、自分の場所にマフラーなどをかけて確保しておく。

忘れられたパイジエッロ作曲の『セビリアの理髪師』

 アン・デア・ウィーン劇場での2回目のオペラ(前回→「グルック『オーリードとトーリードのイフィジェニー』 アン・デア・ウィーン劇場 2014年10月27日」)。今回は『セビリアの理髪師』。と言っても、ロッシーニ作曲(1816年初演)のものではなくパイジエッロ(Giovanni Paisiello, 1740-1816)作曲の『セビリア』(1782年初演)。その珍しさと、演奏がルネ・ヤーコプス指揮のフライブルク・バロックオーケストラということで行きたい公演としてチェックしていた。ヤーコプス指揮は2回目(前回→「ヘンデル 『アグリッピーナ』 ルネ・ヤーコプス指揮 ベルリン古楽アカデミー ベルリン国立歌劇場 2010年2月9日」)。パイジエッロの『セビリア』なんて日本ではまず観る機会はないだろう。ヨーロッパにいて良いことは、こうした珍しい作品が取り上げられる機会が多いことと、ヘンデルなどのバロック期の作品が当たり前のように取り上げられることだ。

 パイジエッロ作曲の『セビリア』は期待をはるかに上回る良いオペラだった。同名のロッシーニの『セビリア』さえなければ残っていてもおかしくなかったと言える。忘れられていった作品をCDなどで聴くとたいていは、まあこれじゃあ残らず消えていったわけだよね、と感じるが、このオペラはもっと上演されていい。

モーツァルトとの類似?

 面白かったのは、ケルビーノのアリアに明らかに似たフレーズが出てきたり、『劇場支配人』(1786年初演)序曲に似ているフレーズが出てきたりしたことだ。『フィガロの結婚』も『劇場支配人』も1786年初演であることを考えれば、モーツァルトに似ていると言うのは時代錯誤で、「モーツァルトがパイジエッロに似ている」ということになる。類似しているといえば、例えば『魔笛』序曲の主題がクレメンティのソナタからとられていることは有名だ。類似している例は他にもきっともっとある。当日一緒にいた音楽学の研究者とも話したが、当時共有されていた音楽語法・形態、いわゆる流行があって、現代の私たちが思っている以上に、モーツァルトのような天才と呼ばれる作曲家たちもその時代に絡めとられていたはずだ。文学研究でもかつては、ゲーテが天才だったから、とその人物の精神に還元しようとしていたが、それを乗り越える手法としてメディア史学が登場した。音楽でも同じで、モーツァルトが天才であることは疑いないが、多くをその天才性に帰しすぎている。「名曲シリーズ」ばかり聴いていると、詳しくなっているつもりが、知らない間に狭い視野でしか見ることができなくなってしまう。例えば一緒にいた音楽学の研究者の研究は、埋もれてしまっている同時代の作曲家に光を当てベートーヴェンを相対化しようという試みである。モーツァルト、ベートーヴェンが天才だったから、と片付けずに相対化してとらえるには努力が必要だ。

 (皆が研究者であるわけではないので)それに関連してと言うわけではないが、パイジエッロの『セビリア』とモーツァルトの『フィガロ』をセットで観る企画があったら面白いと思う。物語がつながっている上に、たった4年違いで初演された両者を並べて鑑賞することで、音楽的なつながりを感じることができるはずだ。新しい音楽史的視点を得られること間違いなし。例えば、パイジエッロの『セビリア』を観て、その後『フィガロ』のケルビーノに似た旋律が出てくると気づいたら。それぞれにいろんな発見があるはずだ。

今回の収穫

 ヤーコプスは実演で2回目、録音ではよく聴いている。指揮ぶりは期待通り。ただ、フライブルク・バロックオーケストラははつらつとしていて悪くなかったが、技術的にはあまり上手とは言えなかった。男声陣は、及第点だが、特筆すべき歌手はいなかった。今回聴けて一番良かったのはノルウェー出身のソプラノ、マリ・エリクスムーエン(Mari Eriksmoen, 1983-)。このソプラノは要注目だ。

Eriksmoen20Mari2015.jpg

http://www.artefact.no/Artists/EriksmoenMari/EriksmoenMariGallery/tabid/916/Default.aspx

アン・デア・ウィーン劇場

IMG_0820.jpg

立ち見位置からの見え方。割とよく見える。何よりオーケストラピットを覗きながら音を堪能できるのが良い。7ユーロ。

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ほぼ満席だった。写真は開演5分前くらい。

 終演後は隣にくっついているカフェ(Chiq Chaq 1060)に行き、一緒だった音楽学の研究者と軽く飲みながら語る楽しい時間を過ごし、日付が変わった頃にお開き。

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【追記】2015/03/28

 下記のコメント欄にある通り、(おそらく別の上演日のだが)録音を聴く機会を得た(今も聴くことができる。Musiq3→http://www.rtbf.be/radio/player/musiq3?id=2000409)。『フィガロの結婚』も『コジ・ファン・トゥッテ』も『魔笛』もあちこちに響いているのが聴き取れる。夜の女王がでてきたかと思うような個所にははっとする。パイジエッロの『セビリア』とモーツァルトの『フィガロ』(でなくともモーツァルトの何か)をセットで観る企画があったら面白い、という思いを一層強くした。

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