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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

RE-SOUND Beethoven 交響曲第7番&『ウェリントンの勝利』 オーストリア学術アカデミー 2015年3月14日

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RE-SOUND Beethoven
オーストリア学術アカデミー、祝祭ホール(Festsaal)
2015年3月14日
ウィーン・アカデミー・オーケストラ
マルティン・ハーゼルベック指揮

交響曲第7番 Op. 92

メルツェルの機械式軍楽トランペットのための行進曲、2つ(ドゥセク&プライエル作曲)

『ウェリントンの勝利あるいはビトリアの戦い』(„Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria“)Op. 91

導入講演
ウィーン大学音楽学科Birgit Lodes教授:「『過度の騒音で太鼓の皮をほとんどやぶく』?ベートーヴェン、戦争、大学」(Univ. Prof. Dr. Birgit Lodes (Universität Wien), Vortrag: „durch den unmäßigen Lärm das Trommelfell fast sprengen“? Beethoven, der Krieg und die Universität)

記事の内容

・RE-SOUND Beethoven

・ベートーヴェン交響曲第7番初演―1813年12月8日、ウィーン大学講堂

・メルツェルの自動演奏楽器―パンハルモニコンを想定して書かれた『ウェリントンの勝利』

・交響曲第7番、初演時の評価―2つの音楽新聞記事から

・初演された場所で聴く―„Originalklang am Originalschauplatz“


RE-SOUND Beethoven

 ベートーヴェンの交響曲はすべてウィーンで初演された。RE-SOUND Beethovenは9つの交響曲をその初演場所で演奏するというプロジェクト。この企画のうち8番は昨年10月に、1番は昨年12月に行われた。3回目の今回は交響曲第7番。 

 この演奏会にはさすがに事前に少し調べて準備して臨んだ。おかげで楽しさが倍増した。はっきり言ってオケはあまりうまくはない(初演ではこんな感じで演奏されたのかなぁ、という気はするので程良いところか)。プロジェクトの主旨から言っても、現代のベルリン・フィルのように演奏することを目指しているわけではないのは当然。ここでは美的感性よりもほとんどは知的関心が中心である。今日は調べたことを中心に書きたい。


ベートーヴェン交響曲第7番初演―1813年12月8日、ウィーン大学講堂

 交響曲第7番の初演は1813年12月8日、場所は当時のウィーン大学講堂(Die Aula der Universität Wien、現在のオーストリア学術アカデミー祝祭ホール)でベートーヴェン本人の指揮のもと行われた。1813年10月末のハーナウの戦いで負傷した兵士たちのための慈善演奏会で入場料収入は寄付されることになっていた。当時ウィーンにいた著名な音楽家のほとんどが居合わせていて、オーケストラには例えばイグナーツ・モシェレス(1794-1870)、ジャコモ・マイアベーア(1791-1864)、ルイ・シュポーア(1784-1859)らが加わり、『ウェリントンの勝利』ではイグナーツ・シュパンツィヒ(1776-1830)がヴァイオリンの首席奏者を、ヨハン・ネポムク・フンメル(1778-1837)が楽隊の大太鼓を受け持ち、サリエーリ(1750-1825)は大砲(空砲)に合図を出す補助指揮者として参加した。*1 初演は「空前絶後の大成功」*2 を収め、4日後の12月12日に再演された。

 今日のプログラムは曲順を含め初演時と同じ(真ん中の2曲は正確にどの曲かは特定できないため、おそらく演奏されたであろうものが今日は演奏された)。交響曲第7番、その時一緒に初演され、もともとはメルツェル(Johann Nepomuk Mälzel, 1772-1838)が製作した自動演奏楽器での演奏を想定して書かれた『ウェリントンの勝利』、そしてドゥセク(Johann Ladislaus Dussek, 1760-1812)とプライエル(Ignaz Josef Pleyel, 1757-1831)が作曲したメルツェルの自動演奏トランペットのための行進曲が1曲ずつ。今日の演奏会の中心人物のひとりはメルツェルと言っていい。実際、交響曲第7番と『ウェリントンの勝利』が初演されたこの演奏会の主催者はメルツェルであった。

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*1 Riethmüller, Albrecht (Hg.): Das Beethoven-Handbuch [Das Beethoven-Lexikon, hrsg. v. Heinz von Loesch/ Claus Raab, Band 6], Laaber: Laaber Verlag, 2008, S. 636 und 840および平野昭『ベートーヴェン』(音楽之友社)、2012年、138頁参照。
*2 平野昭『ベートーヴェン』、138頁。

 

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オーストリア学術アカデミー(Österreichische Akademie der Wissenschaften)

 

メルツェルの自動演奏楽器―パンハルモニコンを想定して書かれた『ウェリントンの勝利』*3

 ウェリントンの勝利に関する楽曲制作をベートーヴェンに依頼し、演奏会を主催した機械技師メルツェルはメトロノームの製作者として知られている(M. M. = Mälzels Metronom)。1792年にウィーンに移り、機械楽器の製作で急速に名声を確立していき、「パンハルモニコン」(Panharmonikon)と呼ばれる機械仕掛けの自動演奏楽器を製作した。オーケストラを想定した自動演奏楽器はオルケストリオン(Orchestrion)と呼ばれるが、1805年にウィーンで公開されたメルツェルのパンハルモニコンは最初のオルケストリオンとされている。

 メルツェルのパンハルモニコンを使用することを想定して書かれたのは、現在の『ウェリントンの勝利』第2部、すなわちウェリントン率いるイギリス軍がスペイン北部のビトリア(Vitoria)でフランス軍に勝利したこと(1813年6月)を題材とした後半部分(「ウェリントンの勝利」)で、この部分が最初に作曲された。その後、イギリス旅行を計画していたメルツェルに旅費捻出のためにオーケストラ用のパート譜も作成するよう勧められたベートーヴェンは*4、そのオーケストラ版において前半の戦いの部分(第1部「戦い」)を書き、第1部と第2部からなる『ウェリントンの勝利あるいはビトリアの戦い』は結局オーケストラで演奏された。*5 ドゥセクとプライエルの行進曲はメルツェルが製作した自動演奏トランペットにオーケストラが合わせる形で演奏された。

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*3 以下メルツェルと自動演奏楽器についてはRiethmüller (Hg.): Das Beethoven-Handbuch, S. 479f.およびRuf, Wolfgang (Hg.): Lexikon Musikinstrumente, Mannheim/ Wien/ Zürich: Meyers, 1991, S. 352 und 384を参照した。
*4 平野昭『ベートーヴェン』、138頁参照。
*5 『ウェリントンの勝利』成立についてRiethmüller (Hg.): Das Beethoven-Handbuch, S. 839参照。

 

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Welte製Orchestrion、1862年(Wikipedia, „Orchestrion“、2015年3月13日閲覧)。1805年にウィーンで公開されたメルツェルのパンハルモニコンは最初のオルケストリオンとされている。

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今日使用された自動演奏楽器。
 

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ドゥセクとプライエルの行進曲はメルツェルが製作した自動演奏トランペットにオーケストラが合わせる形で演奏された。

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チューニング中。この2曲は指揮者なし。自動演奏楽器がソリストのトランペット協奏曲といったところ。本当に自動で演奏されるんだねぇ。

 

 機械式トランペットによる演奏は笑えた。機械式トランペットの方からオケに合わせることなどあるはずもなく、ひたすら自動で進んでいくだけだから、コンマスを筆頭にオケの方が合わせなければならない。聴衆が微笑みながら見守る。音も素人が吹いているような滑稽な音で、舞台上の演奏家たちがそんな自動演奏トランペットに必死に合わせようとしている光景は笑うしかない。聴きながら、音の高低に合わせて、緑色の部分が膨らんだり縮んだりするのが確認できた。ベートーヴェンをはじめそうそうたる音楽家たちが居合わせるなか、1813年にこんな演奏会をやっていたのだなぁ。


交響曲第7番、初演時の評価―2つの音楽新聞記事から

 演奏会の前には導入として、今日のみ45分程度の講演が置かれた。講演は、ウィーン大学音楽学科Birgit Lodes教授「『過度の騒音で太鼓の皮をほとんどやぶく』?ベートーヴェン、戦争、大学」(„durch den unmäßigen Lärm das Trommelfell fast sprengen“? Beethoven, der Krieg und die Universität)。講演自体は導入ということで、それほど新しいことはなかったが、いろいろ調べたきっかけはこの講演題目だった。講演題目内に引用されているのは当時の音楽新聞(Allgemeine Musikzeitung、フランクフルト、1827年、記事はもともとは初演直後に出たと思われる)に載った(非常に否定的な)批評文にある文言である。引用する*6。

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*6 長くなるがドイツ語を併記する。あるドイツ語のウェブサイト(http://www.koelnklavier.de/texte/komponisten/beeth-sinf7.html)や初演200年を記念して書かれたDeutsche Welleの記事(http://www.dw.de/beethovens-siebte-wird-200/a-17266666)ではやや表現の異なったものが引用されているが、引用元が確認できなかった。ドイツ語のページ(質問フォーラム的なもの)など見ているとそっちの方が広まって(しまって?)いるようである。引用元を確認できる引用としてここにドイツ語文も併記する。日本に限らず世界でこの批評文の出典を探す人がここに来ることもあるだろう。ちなみに上記の講演でも、引用するものは1827年刊行と明言して引用されていた。

 

Gestern hatten wir unser zweites Abonnentskonzert. [...] Der zweite Theil des Konzerts wurde mit der Synphonie von Beethoven aus A# eröffnet. Was kann Ref. von diesem musikalischen Ungeheuer sagen? — Dass Beethoven ein großes, ein außerordentliches Talent oder Genie besaß, ist nicht zu bezweifeln. Ref. selbst hat seine früheren Arbeiten, welche in Mozarts Geist geschrieben waren, mit so viel Vergnügen als Bewunderung gehört. Aber was ist aus dem guten Manne seit späteren Zeiten geworden? ist er nicht ganz eine Art von Verrücktheit gerathen, [...]? Die heutige Synphonie ist ein Beweis davon. Sie bestehet aus Vier Sätzen, deren jeder beinahe ¼ Stunde, mithin das Ganze wenigstens ¾ Stunde dauert, und ist ein wahres Quodlibet von tragischen, komischen, ernsten und trivialen Ideen, welche ohne allen Zusammenhang vom hunderten in das tausende springen, sich zum Überdruss noch wiederholen und durch den unmäßigen Lärm das Trommelfell fast sprengen. Wie ist es möglich, an einer solchen Rhapsodie Vergnügen zu finden? Haben Haydn und Mozart so geschrieben? „Die Kunst macht noch immer Fortschritte“ sagt man. Bald muß man aber glauben, dass diese Schritte krebsartig sind und uns in den Abgrund der Barbarei führen werden. [...] Unser Orchester muss er [Ref.] schlißlich noch herzlich bedauern, dass ihm das heutige Konzert, oder vielmehr die einzige Beethovensche Synphonien mehr Anstrengung gekostet hat, als oft eine ganze Oper kostet.    

 昨日二回目の定期演奏会があった。[...]演奏会の第二部はベートーヴェンのイ長調の交響曲で始まった。報告者はこの音楽的怪物について何を言えばいいのか。―ベートーヴェンが大きな、類まれな資質あるいは才能を持っていたことは疑いがない。報告者自身も、モーツァルトの精神において書かれていた彼の以前の作品を、感嘆という大きな喜びをもって聴いてきた。しかしこの立派な男はその後の時期以降どうしてしまったというのか。彼はある種の狂気にでも陥ったのだろうか[...]。今日の交響曲はその証である。この交響曲は4楽章からなり、それぞれがほとんど15分ほどで、全体で少なくとも45分はかかる。そしてこの交響曲は、百から千へとまったく何の脈絡も無しに跳んでいき、嫌気がさすほど何度も繰り返され、過度の騒音によって太鼓の皮をほとんど破いてしまうような、悲劇的な、喜劇的な、真剣な、通俗的な着想の真のごたまぜである。このような狂想曲に喜びを見出すことなどいかにして可能であろうか。ハイドンとモーツァルトはこのように作曲したか。「芸術はなお常に進歩する」と人は言う。しかし今にこう思わねばならない、この歩みは癌のようなものであり、我々を野蛮の奈落へと連れて行くであろうと。[...]最後に、我々のオーケストラを彼[報告者]はなお心より気の毒に思うほかない。オーケストラは今日のこのコンサートに、あるいはむしろこのたったひとつのベートーヴェンの交響曲に、ひとつのオペラを丸々演奏するのにたいていの場合かかる労力よりもさらに多くの労力を費やしたのだ。
(„Nachrichten“ (10. decbr. 1827), in: Allgemeine Musikzeitung zur Beförderung der theoretischen und praktischen Tonkunst für Musiker und für Freunde der Musik überhaupt, Jg. 1 (1827), Frankfurt: Fischersche Musik Verlagshandlung, 1828, S. 20-22, hier S. 21f.)*7

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*7 Aus der ersten überlieferten Rezension. Sie muss im Jahre 1827 „wiederum“ veröffentlicht worden sein, da der Text mit dem Satz „Gestern hatten wir...“ beginnt. Es scheint, dass es für diesen Retzensionstext eine andere Version gibt. Siehe die folgenden Webseiten: http://www.koelnklavier.de/texte/komponisten/beeth-sinf7.html oder http://www.dw.de/beethovens-siebte-wird-200/a-17266666 (Deutsche Welle). Ich zitierte aus der Quelle, die als Publikation veröffentlicht ist und damit jeder zur Verfügung haben kann. Den hier zitierten Originaltext kann man lesen bei Internet Archive Digital Library of Free Books, Movies, Music & Wayback Machine (https://archive.org/details/bub_gb_4ucsAAAAYAAJ).

 

 否定的な批評文に続けてもうひとつ。こちらは非常に肯定的な批評文(Allgemeine Musikalische Zeitung、ライプツィヒ、1814年、記事の日付は初演の翌月)。7番についての個所を抜粋して引用する。

 

Vor allem verdiente die neue, zuerst genannte Symphonie jenen grossen Beyfall und die ausserordentlich gute Aufnahme, die sie erhielt. Man muss dies neueste Werk des Genie’s B.s selbst, und wol auch so gut ausgeführt hören, wie es hier ausgeführt wurde, um ganz seine Schönheiten würdigen und recht vollständig geniessen zu können. Ref. hält diese Symphonie, nach zweymaligem Anhören, — ohne dass ihr jene feste Durchführung und Verarbeitung der Hauptgedanken, die wir in den übrigen Werken dieses Meisters anzutreffen gewohnt sind, mangelte — für die melodiereichste, gefälligste und fasslichste unter allen B.schen Symphonien. Sie muss, gut ausgeführt, überall und bey allen nur Aufmerksamen nach Wunsch ansprechen. Das Andante [sic!: Allegretto] (A moll) musste jedesmal wiederholt werden, und entzückte Kenner und Nichtkenner. [...]. Uebrigens brauchen wir wol kaum hinzuzusetzen, dass der Laye in Absicht auf Musik dies Werk ganz allamirt anstaunte, und gar nicht wusste, wie ihm geschah; dass aber der Musikkenner die vorangegangene Symphonie bey weitem als ein edleres, gediegeneres Kunstwerk demselben vorzog.

何よりも、最初に演奏された新しい交響曲は、この交響曲が受けたあの盛大な拍手と並はずれた好評に値した。ベートーヴェンという天才のこの最新の作品ですらも、と同時にだからこそ本当にここで演奏されたのと同じくらいうまく演奏されるのを聴かねばならない。それでこそその美全体を正当に評価し適切に完全に享受することができるのだ。報告者はこの交響曲を、2回聴いた今、―我々がこの巨匠のこれ以外の作品において耳にするのに慣れている中心的着想のあの確固たる遂行と処理が欠けることなく―ベートーヴェンのすべての交響曲の中でもきわめてメロディーに溢れた、きわめて好ましい、きわめてわかりやすいものであると思っている。この交響曲は、もちろんうまく演奏されることが条件だが、至る所で、どこででも思い通りにただただ注目を集めるに違いない。アンダンテ[アレグレット](イ短調)は[報告者が2回聴いた]どちらの回でも繰り返されなければなかった、玄人も素人もみな魅了された。[...]ちなみに以下のことはほとんど付け加える必要はないだろう、素人が音楽の観点でこの作品[『ウェリントンの勝利』]に非常に注目して驚嘆したこと、そして一方で玄人は先に演奏された交響曲をより高貴で、より堅実な芸術作品としてはるかに好んでいたことがどのように起こったのか素人にはまったくわからなかったということは。
(„Nachrichten“ (07. Januar 1814), in: Allgemeine Musikalische Zeitung, 16. Jg. (vom 5. Januar 1814 bis 28. December 1814), Leipzig: Breitkopf und Härtel, S. 69-76, hier S. 70f.)

 そのほか、カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)は、ベートーヴェンは「精神病院へ行く必要がある」(reif für das Irrenhaus)と言ったとされる。*8 ワーグナーが『将来の芸術作品』(Das Kunstwerk der Zukunft)のなかで「舞踏の聖化」(Apotheose des Tanzes)*9 と呼んだのは有名だろう。どの解説文にも、どの演奏会のプログラムにもこればかり引用されているのでもはや皆聞き飽きているのではないか。ここではこの文言を含む文とその続きを少しだけ引用しよう。

 

Diese Symphonie ist die Apotheose des Tanzes selbst. Sie ist der Tanz nach seinem höchsten Wesen, die seligste Tat der in Tönen gleichsam idealistisch verkörperten Bewegung.

この交響曲は舞踏の聖化そのものである。この交響曲は、そのもっとも高い本質からして舞踏である、すなわち音においてあたかも観念的に身体化されたかのような動きによる最高度に幸福な業である。
(Wagner, Richard: Das Kunstwerk der Zukunft, Leipzig: Wigand, 1850, S. 90)

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*8 „Nr. 27. “ (01. Juli 1840), in: Allgemeine Musikalische Zeitung, 42. Jg., Leipzig: Breitkopf und Härtel, 1840, S. 554-568, hier S. 559参照。もとはある批評文に見られる文言で、 ここに引用した個所のすぐあとに、「執筆者はK. M. v. Weberだったとのことである」と書かれている。
*9 Wagner, Richard: Das Kunstwerk der Zukunft, Leipzig: Wigand, 1850, S. 90. 



初演された場所で聴く―„Originalklang am Originalschauplatz“

 初演時と同じ場所、曲順も含め同じプログラム。500人くらいしか入らないSaalで、こうやって聴いてたんだなぁと思いつつ。1813年にいた気分。音響も良く、楽しい。こうしたこじんまりした空間の贅沢な音響はやはり大ホールでは味わえない。始まる前も、演奏会の間もずっとわくわくが止まらなかった。RE-SOUND Beethoven、素晴らしいプロジェクトだ。身をもって感じたが、それはあの4楽章のぶっちぎり感は異常だったでしょうね。

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オーストリア学術アカデミー祝祭ホール(初演当時はウィーン大学講堂)。本当に初演に立ち会っているかのような気分で聴いていた。

 

 調べて、こうやって聴くと当時なぜ第2楽章がもう一度演奏されたか、なぜ『ウェリントンの勝利』が(その時は)人気が高かったかなどもよくわかる。『ウェリントンの勝利』が最後に置かれた曲順もそうだし、なにより当時は戦時中であったことも大きな要因だっただろう*10。

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*10 演奏会後に文献を読み直したらRiethmüller (Hg.): Das Beethoven-Handbuch, 2008, S. 840にも同様のことが書いてあった。また同頁には、19世紀にこの作品に対する現在まで続く手厳しい評価が下されたとある。

 

 7番の第2楽章がアンコールで演奏されたことは、戦争負傷者のための慈善演奏会であることを考えればそれほど不思議はない。ただ、聴衆から第2楽章のアンコールが求められたとの記述をよく目にするが、実際のところはどうだったのだろうか、演奏側が第2楽章を選んで演奏しただけではないのか、現代でも/では(?)聴衆がアンコール曲を決めるわけではないし、などと思っていた。上記の記事では、聴衆が、第2楽章を!、と声を上げたのかどうかはわからない。知りたいと思ってさらに調べていたら、初演時の演奏に参加していたシュポーアの『自伝』(1860)の中に当時の演奏会を振り返っている記述があり、アンコールのことにも触れられていた。これによれば聴衆に要求されたとのことである。世に溢れている交響曲第7番初演時の第2楽章のアンコールに関する言説はこれに依拠していると思われる。アンコールに関する記述はほんの少しだが、それに続くベートーヴェンの指揮ぶりについての記述が面白いのでそこも引用する。

 

 Das von seinen Freunden veranstaltete Concert hatte den glänzendsten Erfolg. Die neuen Compositionen Beethoven's gefielen außerordentlich, besonders die Symphonie in A-dur (die siebente); der wundervolle zweite Satz wurde da Capo verlangt; er machte auch auf mich einen tiefen, nachhaltigen Eindruck. Die Ausführung war eine ganz meisterhafte, trotz der unsicheren und dabei oft lächerlichen Direction Beethoven's.
 Daß der arme, taube Meister die piano seiner Musik nicht mehr hören konnte, sah man ganz deutlich. Besonders auffallend war es aber bei einer Stelle im zweiten Theile des ersten Allegro [sic!: Poco sostenuto – Vivace] der Symphonie [wahrscheinlich am Anfang des Durchführungsteils]. Es folgen sich da zwei Halte gleich nach einander, von denen der zweite pianissimo ist. Diesen hatte Beethoven wahrscheinlich übersehen, denn er fing schon wieder an zu taktiren, als das Orchester noch nicht einmal diesen zweiten Halt eingesetzt hatte. Er war daher, ohne es zu wissen, dem Orchester bereits zehn bis zwölf Takte vorausgeeilt, als dieses nun auch, und zwar pianissimo begann. Beethoven, um dieses nach seiner Weise anzudeuten, hatte sich ganz unter dem Pulte verkrochen. Bei dem nun folgenden crescendo wurde er wieder sichtbar, hob sich immer mehr und sprang hoch in die Höhe, als der Moment eintrat, wo seiner Rechnung nach das forte beginnen mußte. Da dieses ausblieb, sah er sich erschrocken um, starrte das Orchester verwundert an, daß es noch immer pianissimo spielte, und fand sich erst wieder zurecht, als das längst erwartete forte endlich eintrat und ihm hörbar wurde.
 Glücklicherweise fiel diese komische Scene nicht bei der Aufführung vor, sonst würde das Publikum sicher wieder gelacht haben.

 彼の友人によって催された演奏会は輝かしい成功を収めた。ベートーヴェンの新しい楽曲の気に入られ方は普通ではなかった。中でもイ長調の交響曲(第7番)は特に評判が良く、その素晴らしい第2楽章はアンコールを求められたのだった。この楽章には私も深い、長く心に残る感銘を受けた。演奏はきわめて卓越したものだった。もっともベートーヴェンの指揮は不安定でしばしば滑稽だったのだが。
 このあわれで耳の聴こえない巨匠が自らの音楽のピアノ[弱音]をもはや聴くことができなかったことはきわめてはっきり見て取れた。特に目立ったのは、交響曲の最初のアレグロ楽章[ポコ・ソステヌート – ヴィヴァーチェ]の第2部のある個所[おそらく展開部冒頭]でのことであった。そこでは2つの休止が続いて出てくる。そのうち2つ目はピアニッシモである。これをベートーヴェンはおそらく見逃したのであろう。というのは、オーケストラがまだこの2つ目の休止にすら入っていなかった時点ですでに彼は拍を取り始めたからである。だから彼は、そうとは知らずに、オーケストラも同じくそのピアニッシモを始める時には、オーケストラに対して10から12小節先を行っていたのだった。ベートーヴェンは、ピアニッシモを彼のやり方で示すために、譜面台の下に潜り込んだ。続くクレッシェンドで彼は再び見えるようになり、彼の拍の勘定によればフォルテが始まるはずであった瞬間が訪れたとき、ますます体を起こしさらに高くへと飛び跳ねた。そうしても何も起こらないままだったので、辺りを驚いたように見回しオーケストラをいぶかしげにじっと見つめたのだが、オーケストラはいまだにピアニッシモで演奏していた。そして長いこと待ちわびていたフォルテがやっと始まって彼に聴こえるようになったときにはじめて、再び状況を把握したのであった。 
 幸運にもこの滑稽な出来事は演奏中には起こらなかった。そうでなければ聴衆はきっと再び笑ったことだろう。
(Spohr, Louis: Selbstbiographie, erster Band, Cassel/ Göttingen: Wigand, 1860, S. 201f.)

 アンコールの件以外にも疑問が浮かんだ。今日の演奏会では弦は対向配置ではなかった。Vn1, Vn2, Cello, Violaの順。ヴィオラの後ろにコントラバス。初演時はどうだったのであろうか。これだけのプロジェクトを遂行しているのだから相当調べているはず。私は専門家ではないので今日の演奏会が忠実に初演を再現したと信じて自分の中では、初演時は対向配置ではなかったらしい、ということにひとまずしておく。知り合いの音楽学の研究者もこの点に疑問を感じたらしく帰って調べてみるとのこと。彼女が言うには、しばしば場所によって(ここは狭いから今回はこっち、あっちとか)配置はその都度違ったという。

 人数編成にも驚いた。Vn1から順に10, 8, 8, 6, 6人だった。規模はこのくらいで良いだろうが、バランスが今じゃ考えられない。管は2管編成でホルンだけ4人。こうなると主役は完全にホルン。そのホール、ホールに限らずその演奏場所(今回は当時はウィーン大学の講堂だった)がどうだった/どうなのかを知るべきということは強調されてよいだろう。大きさ、形、残響等々。巨大な、例えばベルリン・フィルハーモニーのようなところで演奏すれば、演奏自体もその場に適応するように変わるというもの。初演時の空間がどうで、編成がどうだったかを知ることは意味のないことではない。RE-SOUND Beethovenではただ知る、だけでなく、その初演場所で実際に感じることもできる。

 空間・編成に関連したことで言えば、『ウェリントンの勝利』のサラウンド効果は特に面白かった。講堂真ん中の両サイド(扉があって廊下に通ずるその扉を開けた状態で)廊下にイギリス軍とフランス軍を表す軍楽隊。その間(客席のほぼど真ん中)に補助指揮者が譜面台を置き立って指揮をする。サリエーリもこんな風に補助指揮者としていたわけか。オーケストラの指揮者はベートーヴェン本人だった。こういう話になってくるとウィーンはさすがにすごい。ベートーヴェンの交響曲9曲すべての初演地である都市、ウィーン。このRE-SOUND Beethoven、8番と1番はすでに終了してしまっているが、残りはできれば全部聴きたい。

 

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*引用したドイツ語原文はどれもインターネット上で見つかり、全文読むことができる。
**引用したドイツ語文の日本語訳は全て私による。

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