フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

エレーヌ・グリモー ウィーン楽友協会 2015年3月23日

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Hélène Grimaud

Musikvereinssaal, 23. März 2015

 

Luciano Berio: Wasserklavier

Toru Takemitsu: Rain Tree Sketch II

Gabriel Urbain Fauré: Barcarolle Nr. 5 fis-Moll, op. 66

Maurice Ravel: Jeux d’eau für Klavier

Isaac Albéniz: Almeria

Franz Liszt: Les jeux d’eaux à la Villa d’Este

Leoš Janáček: Im Nebel Nr. 1 Des-Dur

Claude Debussy: La Cathédrale engloutie

 

-------- Pause ----------

Johannes Brahms: Sonate für Klavier Nr. 2 fis-Moll, op. 2

 

Zugaben:

Claude Debussy: Etude XI, pour les Arpèges composés, Poissons d’or („Goldfische“) aus den „Images“ Band II

Johannes Brahms: Capriccio für Klavier d-Moll, op. 116/1

 

座席 2階右3番3列3番

 

 今日は(私の)体調が悪く普段に比べ全然集中できなかったのが残念だが、行けただけ良しとする。グリモーは5年前にベルリンで聴いて以来2回目(→「ベルリン・フィル トゥガン・ソヒエフ指揮 エレーヌ・グリモー 2010年1月8日 フィルハーモニー」)。

 

 前半はそれ全体で「第一部」と考えているようで、曲の合間に拍手されるのをよしとしていなかった。途中2回ほど聴衆が拍手したが目もくれず次の曲に向けて集中していた。

 

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休憩中

 

 後半のブラームスは、プログラムを眺めたときにまずは読み取れる前後半のコントラストのみならず、グリモーの演奏にかかるとつながりさえも感じる。演奏中グリモーの息遣いがよく聴こえてきた。集中力が凄まじい。壮絶な演奏。ぶっ飛んでいる。アンコールは3曲弾いてくれた。

 芸術家としての域が違う。今まさにそこでその音楽が生まれているかのような、というまさにそれ。演奏は創造であるとの本質をあまりにも体現しているのでもはや、今日グリモーの創造を聴いてきた、と言った方が良いのではと思うくらいだ。R. シュトラウスは「モーツァルトについて書くことなんてできない。ただ崇めることができるだけだ」(„Über Mozart kann ich nicht schreiben, ihn kann ich nur anbeten!“)と言ったが、まさにそんな気持ちである。グリモー今45歳か。すごい。普段着のような飾らない服装で舞台にさっと上がってくるのも好きだ。内面から湧き出て人の心にまで突き刺さるような美に魅了されるばかり。

 

 

余談

 グリモーのような大きな名前と比較的安い価格設定が掛け合わさって起こること、聴衆の質低下。前半にケイタイが2度鳴った。1回目は着信音、2回目は目覚ましに設定するような不快なアラーム音。この2回目は本当にひどかった。

 前半の拍手にしても、グリモーの意図を即座に感じ取って曲の間で拍手しないで聴いていられないかね、まったく。

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