フィルハルモニ記

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クリスティアン・ティーレマン『ワーグナーと私』(3)ワーグナーに会いたくない理由ともし会うことになってしまったら聞きたいこと

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私はリヒャルト・ワーグナーに個人的には出会いたくないと思っています。
クリスティアン・ティーレマン『ワーグナーと私』

(Christian Thielemann: Mein Leben mit Wagner, Beck, 2012)

 

 ティーレマンはワーグナーに個人的には出会いたくないらしい。こんな本を出しておいてその本人と会いたくないというのはなかなか面白い話だ。このことについて、先日書いた「クリスティアン・ティーレマン『ワーグナーと私』(1)買ったきっかけとメモ」の記事の中のメモで触れていて、さっそく、なぜなのかという疑問・質問をいただいた。

 

 

 

ティーレマンがワーグナーに会いたくない理由

「私はリヒャルト・ワーグナーに個人的には出会いたくないと思っています(Ich möchte Richard Wagner nicht persönlich begegnen)」の文言は、第2章「ワーグナーの世界」の冒頭にある。ティーレマンは理由も書いているので、紹介したいと思う。

 

 私はワーグナーに個人的には出会いたくないと思っています。私は多分彼を恐れるだろうと思います。彼がドアから入ってきて、身長166センチ、多分洗ってない髪にビロードの帽子をして、ザクセン訛りで話すのをやめずにあれこれしゃべりまくるのをやめないとしたら、天気、夜の睡眠、彼の犬たちルス、プッツ、モリーについて、サテンのズボン、歯肉潰瘍、浣腸の仕方、好みの女性歌手たちについて...私はへとへとでしょう。幻滅を感じるでしょう。それは、私が彼について崇高な、ロマンティックなイメージを抱いているからではなく、ワーグナー世界が、実在のものと可能なものへと、音楽と現実へと、彼がその地位についたドレスデンの宮廷音楽長と彼がよく自分自身をそう称した職人的能無しへと、そしてさらに多くのものへとどれほど強くばらばらに崩れていくかを認識しなければならなくなるだろうからです。(41頁)

 わからなくもない。例えばベートーヴェンについても似たようなことが言えるかもしれない。癇癪持ちの気難しい中年男性はちょっと面倒くさそうだなぁ、と。今月初旬、ハイリゲンシュタット散策に行ってきて、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたとされる家を観てその他の家の前も通ってきた。弟子のリースはウィーン中心部から毎度1時間以上歩いてベートーヴェン先生を訪ねていたとのこと、知り合いの研究者と話していて聞いた。*1 リースはベートーヴェン先生のことが嫌いだったようで、先生についていろいろなことをぐちぐち書いているらしい。他にも、ベートーヴェンが相当気難しかったであろうことを伝えるエピソードはたくさんある。

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*1 ハイリゲンシュタットに行ってみると、ウィーン中心部からかなり離れていることがわかる。「遺書」の前からすでに有名だったベートーヴェン程の音楽家がこんな離れたところに住んでいたのか、と思う。難聴が露見するのをどれほど恐れていたか、わかるような気になる。

 (余談)ハイリゲンシュタットへは路面電車でも地下鉄(U4)でも行けて、地下鉄だとそこが終点になっている。だからウィーンで緑の地下鉄U4に乗るときはいつもHütteldorf方面/Heiligenstadt方面と出ているのを目にする。ウィーンに来て初めてその表示を目にした時は感慨深かった。日常の中に"Heiligenstadt"の文字が当たり前のように出てくるのだから。

 

 

 ティーレマンがワーグナーに出会いたくない理由を見たが、ここは第2章の導入部ということもあり、少し冗談めかしつつ語っている面もあると理解した。理由を挙げた後、次のように続ける。

 

 指揮者としてはもちろんこれらすべてを知っているべきではあります(しかしそれを再び忘れてもよいのです)。年を重ねるにつれて、作曲家の伝記にはだんだん興味がなくなってきました。私はスコアを持っています、そしてそこにすべてが入っています。相反するもの、分裂したものなど、まさにこうしたものもです。(41頁)

 指揮者(あるいは音楽家)は(作曲家について)何を、どれだけ知っているべきかというテーマ。ティーレマンはこの本の中で何度も触れている。ちょっとした話もこうしたテーマに関わらせるところにティーレマンの真面目さがうかがえる気がする。本全体からもその姿勢が感じ取れる。

 

 ワーグナーに会いたくない理由の中でワーグナーについてのイメージの話が出たが、ここで、ティーレマンがワーグナーという人物をどういう風に想像しているか聞いてみよう。

 

 私がワーグナーという人物をどのように想像しているかですか?支配欲の強い、癇癪持ちの、子供じみた、強い使命感に溢れていて、煽動的で、活発で、狂った人物です。(41頁)

 ティーレマン自身が言うには、自分とワーグナーは最終的には情熱においてはそれほど似ていないわけではないと思っているようである。と言っても、自分は現実に立脚するということからそうなかなか離れない。対してワーグナーは、内なるノイシュヴァンシュタイン城のようなものをよく幻想していたと。だが、実際にはきっと違ったふうに見えて、ワーグナーも地に足が着いていて、実践的で、そしてそれと同時に風変わりな激情家であったとティーレマンは言う。そして、最終的には劇場における具体的な問題に奔走するという意味で、私たちとそれほど離れていないと。そうした理由からも指揮者としてワーグナーの人生について必ずしもすべてを知っている必要はないとも言っている。*2

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*2 42-43頁参照。

 

 

ティーレマンがもしワーグナーに会うことになってしまったら聞いてみたいこと

 それでも仮に思いがけずワーグナーがドアのところまで来てしまったら、質問してみたいことはあるそうだ。指揮者として必ずしもワーグナーの人生についてすべて知る必要はないことに触れた直後に次のように述べている。

 

しかし、彼[ワーグナー]が思いがけずドアのところに立っていたとしたら、質問してみたいことはあります。「親愛なるワーグナーさん、あなたほどのスケールと洗練さをもつような人がどうすればフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディについての見解においてあれほど不適切でありえるのでしょうか?」[*3]。それとあと例えばこうです。「天分に恵まれた実践者よ、あなたはなぜ『マイスタージンガー』の第1場においてあんなにたくさんのフォルテをオーケストラに書いたのですか?いったい誰がそれに合わせて歌うことができるというのでしょう」。(43頁)

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*3 ワーグナーの論文「音楽におけるユダヤ性」(Das Judenthum in der Musik, 1850/1869)参照。まず1850年に偽名(K. Freigedank)で『音楽新報』(Neue Zeitschrift für Musik)(第19号1850年9月3日、第20号9月6日)において公表、1869年には実名で出版した。1869年版には170にのぼる抗議文が届いた。K. Freigedank [R. Wagner]: „Das Judenthum in der Musik“, in: Neue Zeitschrift für Musik, Leipzig, Nr. 19 (3. September), S. 101–107, und Nr. 20 (6. September 1850), S. 109–112; Richard Wagner: Das Judenthum in der Musik, Leipzig: J. J. Weber, 1869.

 

 

 好きなもの・人の良い面しか見ない/良い面しか見ようとしないのではなく、良い面も悪い面もしっかり見るのが望ましい姿勢だろう。ワーグナーと共に人生を歩むことを決め、こんな本を出しつつも、個人的には会いたくないと言い、もし会ったらこのような辛辣な質問を浴びせる。ティーレマンの姿勢はとても好ましく思える。

 

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*翻訳は私による

 

 

((4)に続く)

 

Mein Leben mit Wagner

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