フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ドレスデン2泊3日(ゼンパーオーパーの歴史についての解説付き)

 9月24日から26日までドレスデンに行ってきた。ドレスデンは2回目。何か月か前にゼンパーオーパーのプログラムを眺めていたが、ドレスデンに本気で行こうと思い立ったのは9月に入ってから。前回来たのはベルリンにいた時に日帰りで。その時は、ゼンパーオーパーは広場から外観を眺めただけ、しかも工事中で足場が設置されていた。そしてフラウエン教会に入る予定が当日に結婚式をやっていて入れず、美術館アルテ・マイスターも行っていない。ツヴィンガー宮殿だけはゆっくり歩いた。あと天気は良かった。それも思い返すとちょうど6年前の今月。

 今回は、演奏者の友人にドレスデンで会い、ゼンパーオーパーで鑑賞し、フラウエン教会その他少しはちゃんと観光してきた。特にゼンパーオーパーではバレエ、オペラ、演奏会GPを観ることができた。上演、演奏については別の記事で書くことにし、ここではまずゼンパーオーパーの歴史について触れ、そのあとにドレスデン観光の様子を簡単に紹介したい。

ゼンパーオーパーの歴史

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ザクセン州立歌劇場、通称ゼンパーオーパー。バレエ、オペラ、演奏会GPを観てきた。この劇場広場の中心にあるのは、第2のゼンパーオーパー建築依頼主であるザクセン王ヨハン像。

ゼンパーオーパー以前1―シュターツカペレ・ドレスデンの源流
 この劇場のオーケストラ、シュターツカペレ・ドレスデンの源流は、1548年に当時のザクセン選帝侯モーリッツにより創設が公布された聖歌隊(Cantorey)に遡る。1548年9月22日に公布された文書("Cantorey-Ordnung")がシュターツカペレ・ドレスデンの創立を示す文献とされている。現存するオーケストラとしては、1448年設立のデンマーク王立管弦楽団に次いで2番目に古いとされる。その長い歴史の初期からオペラの分野で重要な役割を果たした。
 新しい分野としてオペラが誕生したのは16世紀後半。現在最古のオペラとみなされているのはヤコポ・ペーリ(Jacopo Peri, 1561-1633)による『ダフネ』("Dafne", 1597)で、1598年春にフィレンツェで初演された。ドレスデンに最初の歌劇場ができる40年前の1627年4月13日、トルガウのハルテンフェルス城で開かれたヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世とザクセン選帝侯家の公女ゾフィー・エレオノーレの婚礼に際して、当時ドレスデンの宮廷楽長だったハインリヒ・シュッツ(1585-1672)作曲の『ダフネ』("Dafne"、最も古いドイツオペラ。現存しない)の初演が行われた。ドイツ文化圏におけるオペラ上演史上の重要な足跡であり、ドイツオペラの上演史における第一歩である。


ゼンパーオーパー以前2―ドレスデン最初の歌劇場からウェーバー時代のモレッティ劇場まで
 1667年1月27日、ヴォルフ・カスパー・フォン・クレンゲル(Wolf Caspar von Klengel, 1630-1691)の設計によりツヴィンガー宮殿向かいのタッシェンベルクに建てられた歌劇場(「クレンゲルのオペラ座」あるいは「タッシェンベルクのオペラ座」)の杮落としでジョヴァンニ・アンドレア・モネーリア(Giovanni Andrea Moneglia, 1625-1700)のオペラ『テセオ』が上演される。この歌劇場がゼンパーオーパーの最初の前身とされ、この日付けがドレスデンの歌劇場公式の創立日とされる。これはドイツ語圏ではウィーン(1651)、ミュンヘン(1657)に次いで3番目に古い(ちなみにベルリンは1742年)。1672年にはマルコ・ジュゼッペ・ペランダ(Marco Giuseppe Peranda, 1625-1675)とジョヴァンニ・アンドレア・ボンテンピ(Giovanni Andrea Bontempi, 1624-1705)によって作曲された現存する最古のドイツ語オペラ『ダフネ』("Dafne")が初演された。建物は1888年に撤去された。
 カトリックに改宗したアウグスト強王(1670-1733)によって1708年頃にこの歌劇場がカトリック宮廷教会に改築されたことにより、ドレスデンにオペラハウスがない状態が10年以上続いていたが、1719年にツヴィンガー宮殿の角に新たに劇場が建てられ、9月3日にアントニオ・ロッティ(Antonio Lotti, 1667-1740)のオペラ『アルゴのジョーヴェ』で幕を開けた。ここでは1843年にメンデルスゾーンがオラトリオ『パウロ』を、1846年にはワーグナーがベートーヴェンの第九交響曲を指揮している。1849年の5月革命の際に焼失し、現在は残っていない。
 1755年に現在の劇場がある場所の隣あたりにいわゆるモレッティ劇場(Moretti-Theater)が完成すると、ほとんどの上演がここで行われるようになる。1817年、前年にプラハからベルリンに移っていたカール・マリア・フォン・ウェーバーが宮廷楽長として招聘され、いわゆる「ドイツ部門」においてドイツオペラ普及・推進に尽力する。1821年にはそのかたわらで、ドイツオペラの伝統における重要な作品となる『魔弾の射手』をベルリンで初演している。1826年にロンドンで客死するまでその地位にあった。ウェーバー時代はまだモレッティ劇場で、この劇場は次に建てられる最初のゼンパーオーパーと入れ替わるようにして撤去された。

最初のゼンパーオーパー―3つのワーグナー作品初演
 最初のゼンパーオーパーは1841年に完成した。ゴットフリート・ゼンパー(Gottfried Semper, 1803-1879)の設計により、劇場の名前も彼の名にちなんでいる。ちなみに、隣にあるツヴィンガー宮殿内の美術館アルテ・マイスター、ウィーンのウィーン宮廷劇場(ブルク劇場)、美術史美術館もゼンパーの設計による。劇場は1841年4月12日、ウェーバーの『祝典序曲』とゲーテの戯曲『タッソー』で幕を開けた。1842年10月20日に『リエンツィ』がウェーバーの後任カール・ゴットリープ・ライシガー(Carl Gottlieb Reißiger)の指揮で初演された。上演は大成功し、1843年2月にワーグナーが宮廷楽長に就任する。就任前月の1843年1月2日には『さまよえるオランダ人』が、1845年10月19日には『タンホイザー』がワーグナー自身の指揮によって初演された。
 最初のゼンパーオーパーが1869年9月21日に焼失すると、数週間後には「暫定劇場」(Interimstheater)が急いで建てられ、12月2日にウェーバーの『祝典序曲』とゲーテの『タウリスのイフィゲーニエ』で再開された。当分の間は俗に仮小屋と呼ばれたこの劇場で上演が行われた。

第2のゼンパーオーパー―9つのR. シュトラウス作品初演
 1878年に現在の形となる第2のゼンパーオーパーが完成し、2月2日に再びウェーバーの『祝典序曲』とゲーテの『タウリスのイフィゲーニエ』で再開された。ちなみに舞台正面を囲む横の壁には、ファウスト、ヴァレンシュタイン、ドン・ファン、イフィゲーニエの文字がありそれぞれ彫刻が飾られている。その後1938年までに、R. シュトラウスの15のオペラのうち9作品がここで初演されている:『火の危機』(1901、エルンスト・フォン・シューフ指揮)、『サロメ』(1905、シューフ)、『エレクトラ』(1909、シューフ)、『ばらの騎士』(1911、シューフ)、『インテルメッツォ』(1924、フリッツ・ブッシュ)、『エジプトのヘレナ』(1928、ブッシュ)、『アラベラ』(1933、クレメンス・クラウス)、『無口な女』(1935、カール・ベーム)、『ダフネ』(1938、ベーム)。その他、ヒンデミットの『カルディヤック』が1926年に初演されている(ブッシュ指揮)。

「第3の」ゼンパーオーパー―戦後の再建から現在
 第2次大戦の影響で1944年8月31日の『魔弾の射手』を最後に休業、1945年2月13日の空爆で破壊された。戦後再建され、ちょうど40年後の同じ日、1985年2月13日に『魔弾の射手』で「第3の」ゼンパーオーパーは再開した。
 音楽監督あるいは首席指揮者として関わった有名な音楽家は、ハインリヒ・シュッツ、ウェーバー、ワーグナー、フリッツ・ライナー、フリッツ・ブッシュ、カール・ベーム、ヨーゼフ・カイルベルト、ルドルフ・ケンペ、フランツ・コンヴィチュニー、ロブロ・フォン・マタチッチ、オトマール・スイトナー、クルト・ザンデルリンク、ヘルベルト・ブロムシュテット、ジュゼッペ・シノーポリ、ベルナルト・ハイティンク、ファビオ・ルイージ、クリスティアン・ティーレマン。オーケストラ、シュターツカペレ・ドレスデンとしての最近の活動としては、ベルリン・フィルが2012年でザルツブルク復活祭音楽祭から退いた翌年の2013年から同音楽祭に出演していることが挙げられる。

ドレスデン2泊3日―観光の様子

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6年前のツヴィンガー宮殿。日付を見たら9月26日。6年後のまったく同じ日にいたことになる。

 さて、ドレスデン訪問。まず日程で迷ったが、やはりワーグナー作品の上演に合わせることにした。9月は『さまよえるオランダ人』があった。ドレスデンで初演された作品だ。21日の上演日に合わせればその前日はR. シュトラウス『エレクトラ』。これもドレスデンで初演された作品で、出演者にはイレーネ・テオリン、カミラ・ニルントが名を連ねる。最高の日程に思えたが、ただその日は楽友協会でシュターツカペレ・ベルリン/バレンボイム/アルゲリッチの演奏会があったのでやめて、次の上演日に合わせることにした。24日にバレエ、25日『さまよえるオランダ人』を観て、26日にウィーンに帰る予定を友人に伝えると、その午前中にGPがあるからそれ聴いてから帰れば?と、GP(ゲネプロ)に入れてもらえることになった。これは翌日から3回ある今シーズンの第2回交響曲コンサート(Symphoniekonzert)に向けたGP。プログラムはマーラー交響曲第6番、指揮はチョン・ミョンフン。これまでも新国などでGPを観たことはあったが、それでもそんなに回数は多くない*1。GPに入れてもらうのは音楽ファンとしてはある意味本番の公演よりも興味深く、楽しみがひとつ増えた。さらにバレエも『オランダ人』も、最初は当日その場で買えばいいやくらいに思っていたが、これも友人がチケットを頼んでおいてくれた。おかげで何の心配もなく3日間ともただで良い席で鑑賞。本当に感謝。
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*1 気になって数えてみるとソウル・フィル(オペラシティ)、小澤塾(小澤指揮)『カルメン』(神奈川県民ホール)、ツィンマーマン作曲『軍人たち』(新国、日本初演)、大野和士指揮/ステファン・グールド/イレーネ・テオリン/ツィトコーワ『トリスタンとイゾルデ』(新国)、ベルリン・フィル/ラトル(サントリー)、香月修作曲『夜叉ヶ池』(新国、世界初演)。

 ウィーンからの移動はバスで。途中で一度プラハに停まり6時間15分。難民の件で、国境では警察がバスに入って乗客のパスポートをチェック。チェコに入るとき、ドイツに入るときの合計2回。帰りは無かった。

 以下、ドレスデン観光の様子を。順番はあまり気にせず、主なところだけ。

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フラウエン教会

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エルベ川に架かるアウグストゥス橋。向こう側がノイシュタット(新市街地)。今回向こう側には一切行かなかった。

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カトリック旧宮廷教会とドレスデン城(Residenzschloss)

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夕日を浴びる夕方のゼンパーオーパー。バレエ公演の開演時間までTheaterplatzのカフェで歌劇場を眺めながらゆっくり食事。

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華やかな夜のゼンパーオーパー

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青空に映える昼のゼンパーオーパー


 2日目にはドレスデン城の緑の丸天井を見学しに。新旧の緑の丸天井(Historisches Grünes Gewölbe/ Neues Grünes Gewölbe)内の豪華な品々はドレスデン最大の見どころのひとつ。Historischesの方は時間指定の券になっていて予約もできるが、予約しなくても簡単に10分後入場の券を買えた。ここはそこそこしっかり見学するとかなり時間がかかる。そのあと少し時間が足りなくなってしまった。

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ドレスデン城見学。

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階段で塔の上に行ける

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上からの眺め。左がツヴィンガー宮殿、右下がカトリック旧宮廷教会、左下が上記写真「夕方のゼンパーオーパー」を眺めながら食事したカフェ。


 ワーグナーが住んだ建物/跡も訪れた。2か所ある。ひとつは歌劇場からとても近い。歌劇場がある劇場広場からツヴィンガー宮殿をまっすぐ突っ切ったところにあるSchauspielhausの隣の隣にワーグナーの住居があった場所がある。今は別の建物が建っているが、ワーグナーがかつてここにあった建物の3階に1843年10月から1847年4月まで住み、『タンホイザー』を完成させ『ローエングリン』の大部分を構想したことが記されたプレートが壁にかかっている。

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ワーグナー住居跡

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An dieser Stelle bis zum 13. Feruar 1945 das Gewerbehaus, in dessen 2. Stock der königl. sächs. Hofkapellmeister Richard Wagner von Oktober 1843 bis April 1847 wohnte. Hier vollendete er die Partitur seiner Oper „Tannhäuser“ und entwarf grosse Teile des „Lohengrin“.


 もうひとつの方にはこの道を西の方に歩いて行く。Friedrichstraße 44にワーグナーが住んだ建物がある。

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ワーグナーの住居

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Richard Wagner 1813-1883 Komponist und königlicher Kapellmeister am Dresdner Hoftheater schuf hier unter anderem die Lohengrin-Partitur.

 道を挟んでほぼ向かいに墓地Alter Katholischer Friedhofがあり、そこにウェーバーの墓がある。1826年にロンドンで客死してから18年が経った1844年に、ワーグナーの尽力もありここに埋葬された。墓の設計がゴットフリート・ゼンパーによることが、訪れてわかった。

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Alter Katholischer Friedhof。入って中央をまっすぐ奥まで行くとウェーバーの墓がある。


 このあとツヴィンガー宮殿まで戻り、美術館アルテ・マイスターへ。友人との待ち合わせまで駆け足で鑑賞。きわめて質の高い絵画が並ぶ。駆け足はもったいない。ここは本当はじっくり観たい/るべきところ。友人とエルベ川沿いの店で食事した後、美術館アルテ・マイスターにくっついているカフェでゆっくり。ゼンパーオーパーのすぐ真横にあり、入り口付近にはウェーバーの像がある。その友人の友人の音楽家と一緒に『さまよえるオランダ人』を観る。終演後ビールを飲みに行きいろいろ話をして夜中のゼンパーオーパーを眺めてさようなら。また明日のGPで。

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神秘的な夜中のゼンパーオーパー

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雨に濡れる朝のゼンパーオーパー。写真を撮る私の背後からはチョン・ミョンフン氏が傘を差しながらゆっくり歩いてきているところ。


 最終日にゼンパーオーパーに向かう時に少し雨が降った以外は基本的に天気も良く、良いドレスデン滞在になった。特にゼンパーオーパーでの鑑賞は、バレエ、オペラ、交響曲と最高のバランスで、しかも交響曲はGPでシュターツカペレ・ドレスデンとチョン・ミョンフンとのリハーサル風景を見学でき、2泊3日であることを考えればこれ以上はないほどの充実ぶり。

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