フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ワーグナー『さまよえるオランダ人』 ゼンパーオーパー 2015年9月25日

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Semperoper Dresden
Der fliegende Holländer

Musikalische Leitung John Fiore
Inszenierung Florentine Klepper
Bühnenbild Martina Segna
Kostüme Anna Sofie Tuma
Licht Bernd Purkrabek
Video Bastian Trieb
Chor Jörn Hinnerk Andresen
Dramaturgie Sophie Becker

Holländer Markus Marquardt
Senta Marjorie Owens
Daland Michael Eder
Mary Tichina Vaughn
Erik Bernhard Berchtold
Steuermann Simeon Esper
Die kleine Senta Lena Küchler

プレミエ 2013年6月15日


座席 3階中央

 ゼンパーオーパーで2回目の鑑賞。昨日のバレエについてはこちら。

 昼に観光をして夕方友人と会い食事、カフェでゆっくりしてから劇場へ。友人と一緒に行く予定だったが、この友人の友人と一緒に行くことに。こちらも音楽家。

 さて、今日はワーグナーの『さまよえるオランダ人』を観る。『オランダ人』はドレスデンで初演された3つのワーグナー作品のひとつ。1842年10月20日に『リエンツィ』が初演された後、1843年1月2日に『さまよえるオランダ人』が初演された。この『オランダ人』の初演と、1845年10月19日の『タンホイザー』の初演はワーグナー自身の指揮による。ゼンパーオーパーの歴史について詳しくは下記の記事内の「ゼンパーオーパーの歴史」を参照されたい。

   座席は3階中央なのだが、関係者、奏者の知り合い用の席らしく(たしかにSemperoperのサイトで座席表示を見てもここに座席は無い)、かなりしっかりボックス席になっていて、ドアには鍵もかかっている。いったんプログラムを買いに出たのだが、戻ってきたときにドアが開かない。近くのスタッフに頼んで開けてもらう。チケットも普通ではなく、小さな用紙に手書きで日付などが書き込まれていて、ドア付近のスタッフに渡して入るようになっていた。良い席も良い席なのだが(そしてせっかく友人が用意してくれたのになんだが)、壁に囲まれているせいか位置のわりにやや臨場感に欠けた。

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3階の中央が見える。(写真は昨日)

 楽しみにして臨んだが、今日は指揮者が問題。あまりに低調なオケの演奏に、序曲の時点で正直、これで2時間半聴くのはつらいな...、と思った。序曲そのものも10分くらいあるが、一向に音にめりはりが出てこない。序曲終わりの方の盛り上がる部分でも上向きの気配は全く感じられず、緊張感のない演奏にがっくり。指揮者は出だしからして振り損ねていた。上演が進むにつれて、オケが自分たちで作っていく形になっていた。もはや指揮者はいてもいなくても同じ状態になった。これぞまさにその状態、という状態だった。オケが自分たちの力で演奏していった。それができるオケだから聴くことはできた。さすがに最初から崩壊していた緊張感を高いところにまで持っていくことは、休憩のないこの作品ではなおさら、難しかったが、結果的に伝統あるこのオケの優秀さを感じることになった。この状態でも誠実に演奏し切るこのオケには好感が持てる(それは当たり前かもしれないが、ウィーン国立歌劇場と比べてしまうせいできっと基準がやや下がっている)。

 歌手はオランダ人、ゼンタともに安定していて優秀だったと言える。他の歌手も悪くはなかった。オランダ人役マルクス・マルクヴァルトはゼンパーオーパーの歌手で来年2月のワルキューレではヴォータンを歌うようだ。圧倒的な迫力は望めない気がするが、安定した上手さはあると思う。一番良かったのはゼンタ役、アメリカ出身のマージョリー・オーウェンズか。(英語に引きずられている個所もあったが)発音も基本的に良い。好感の持てる歌唱だった。最後の高音もしっかり出していた。

演出について―『オランダ人』ならぬ、オペラ『ゼンタ』

 今日の『オランダ人』で面白かったのは演出。演出家はフロレンティーネ・クレッパー。ツューリヒとミュンヘンで演劇・オペラ演出を学び、2004年以降ドイツ語圏各地の歌/劇場で活躍している演出家。このプロダクションのプレミエは2013年、ワーグナー生誕200年の年に上演された。ゼンタの背景、内面にとことん焦点を当てた『さまよえるオランダ人』。いや、これはもはや『ゼンタ』だ。それほどまでに軸がゼンタにある。

 まず舞台上に船は見当たらない。舞台は海岸沿いの丘だ。少し傾斜があり、奥に向かって高くなっている。左端に桟橋がある。その下の部分の水は黒い艶のあるシートで表現されている。序曲の間から舞台上には少女が座っている。序曲が終わり幕が上がっても、第1幕が(音楽的に)始まるまでしばらく無音の状態が続き、少女が舞台上を動いていると突然空から黒い鳥が落ちてくる。少女は黒い鳥を抱き上げると、ずっと大事そうに抱えている。舞台上では葬儀が行われていて葬列が歩いている。舞台は全体に暗く神秘的な雰囲気。背景は暗い空が広がり、鳥が飛んでいる映像が映し出される。ゼンタは舞台奥の方で座っている。前面に出てくるとその横に少女が立つ。

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© Semperoper Dresden

 第1幕の途中でこの演出のコンセプトが見えてくる。少女は幼い頃のゼンタだ。葬儀で弔われているのは父ダーラント。ゼンタの過去・現在・未来がひとつの舞台上に共存しているということだろう。オランダ人に出会う前、第一幕、いや序曲の間からすでにゼンタというひとりの女性に焦点が当てられ、その背景を提示しようとする試みが示されている。舞台が海岸なのも、ここがゼンタが昔からよく訪れたであろう場所であるとすれば、この演出においてゼンタに焦点が当てられていることの表れと言える。オランダ人は全身黒の衣装で現れ、左手に羽が生えている。少女ゼンタが抱える黒い鳥と対応している。
 観ているうちにゼンタが父に大事にされていないことが動きなどからわかる。母親はいない。少女は男ばかりの船乗りたちに囲まれ戸惑っているような、馴染めないような様子を見せている。

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© Semperoper Dresden

 第2幕は一気に低俗な雰囲気になる。明るい舞台。女声合唱団員が皆妊娠していてお腹が大きくなっている。中央にベットがあり、順番に横たわり、産婆のマリーが出産の面倒を見る。女性たちが順に子供を産んでいく。途中誰もベットにいないのに、ベットから次から次へと子供(人形)が出てくる。ベットに乗りきらず床に落ちてしまう。それは工場の生産ラインから完成品が上がって来るかのような光景だ。次々と子供を産む女性たち。女性に子供を産む役割しか見ないような、そこに何も疑問感じない村の空気を表現していると考えることができる。この第2幕は、そのコンセプトとその後の展開に期待を持たせる第1幕とは違い、連続性、説得力など様々な面で不満を感じざるを得なかった。いわゆる浅い演出になってしまっていたと感じた。

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© Semperoper Dresden

 第3幕は第1幕と同じ舞台。再びダーラントがベットに横たわっている。人々は婚礼の衣装に身を包んでいる。最後にゼンタは大きいカバンを持って歩いて行く。ゼンタがこれから新たな人生を歩んでいくことを示している。難しい時間を過ごしたこの地から解放してくれる存在としてのオランダ人。ちょうど逆になっている。すなわちゼンタによるオランダ人の救済ではなく、オランダ人によるゼンタの救済になっていると見ることができる。そこでさらに、オランダ人も救済されたとすれば、両者の両者による救済とも言えるだろう。

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© Semperoper Dresden

 オランダ人を救済することによってオランダ人に救済される『ゼンタ』。演出のコンセプト自体はとてもしっかりしていた。一見斬新に見えるかもしれないが、ごく当たり前のことを試みているに過ぎない。ともすれば都合が良過ぎるとも言えなくもないワーグナー作品のヒロインを、現代の私たちから見ていかに納得のいく形で提示できるか。ゼンタの最後の台詞"treu dir bis zum Tod"。そこにあるTreueの形、それによりもたらされるErlösungの概念。treuであることとはどういうことか、Erlösungとはどうありえるのか。これを納得のいく形で提示すること。それを実現するために考え抜かれた演出、特に第1幕は非常に面白かった。第1幕の演出の緊張度と比較すると第2幕はその演出であることに関して説得力に欠けていたように思う。例えば舞台を海岸とすることは、この演出のコンセプトからすると、はずせない、当然の帰結とみなすことができるが、第2幕にはこのような背景のコンセプトと舞台上で行われていることの間にある緊密度、説得力を感じなかった。
 この演出は、上演として全体的に見た時には必ずしもうまくいっているとは思わないが、演出の背景にあるコンセプトは面白かった。演出を、コンセプトそのものがダメなもの、コンセプトは良いがその見せ方の部分に難があるものに分けるとすれば、これは後者と言えよう。やろうとしていることの背景にある考えはとても理に適っている。

 今日の上演、総じて観応えはあった。ただ、聴き応えがなかったのが残念。

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終演後近くに飲みに行ったあとに撮った真夜中のゼンパーオーパー。

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