フィルハルモニ記

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ベルリン・フィル/ラトル ベートーヴェン交響曲ツィクルス 第1番&第3番「英雄」 ウィーン楽友協会 2015年11月10日

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Berliner Philharmoniker
Simon Rattle, Dirigent

Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 1 C-Dur, op. 21
-------- Pause ----------
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 3 Es-Dur, op. 55, „Eroica“


Cb3、後半5、Vn1:12
座席 Podium右1番

 ベルリン・フィル/ラトルによるベートーヴェン交響曲ツィクルスの今日は初日、第1番&第3番「英雄」。ベルリン・フィルは10月にまずベルリン・フィルハーモニーで2回ツィクルス公演をして、その後フランクフルトで第9番のみ演奏し、先週はパリでツィクルス公演を行った。そして今週はウィーンである。ウィーンの後はニューヨークのカーネギーホールでツィクルスを行う。2016年5月には台北で第1番&第9番と第2番&第9番の2公演を行った後、東京・サントリーホールでツィクルスを行う(2016年5月11日~15日)。言い方を変えると(来シーズン以降は知らないが)、ベルリン・フィル/ラトルのベートーヴェン交響曲ツィクルスを聴けるのは本拠地ベルリン、パリ、ウィーン、ニューヨーク、東京の聴衆だけだ。

 このツィクルス公演を迎える前に、ラトルの指揮に限らずベルリン・フィルでベートーヴェンの交響曲を聴いたことがないと思いこれまで行ったベルリン・フィルの演奏会を鑑賞履歴表で振り返ってみた。

  • ホリガー:2つのリスト・トランスクリプション、ラヴェル:ピアノ協奏曲(グリモー)、ラフマニノフ:交響曲第2番 トゥガン・ソヒエフ指揮

  • クルターク:シュテファンの墓碑、シベリウス:交響曲第4番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(内田光子) ラトル指揮

  • リゲティ:サンフランシスコ・ポリフォニー、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(内田光子)、シベリウス:交響曲第2番 ラトル指揮

  • ヴェルディ:レクイエム ヤンソンス指揮

  • バッハ:マタイ受難曲 ラトル指揮

  • バッハ:ピアノ協奏曲第1番、ハイドン:交響曲第100番「軍隊」、モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ序曲、ピアノ協奏曲第20番 A. シフ指揮&ピアノ

  • ヤナーチェク:『死の家の記録』より組曲、シェーンベルク:ピアノ協奏曲(ピエール=ローラン・エマール)、ブラームス:交響曲第4番 ビエロフラーヴェク指揮

  • ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第3幕前奏曲、エルガー:チェロ協奏曲(ワイラースタイン)、ブラームス:交響曲第1番 バレンボイム指揮

  • シューベルト:3つの歌曲(クリスティアンネ・ストーティン)、シェーンベルク:『グレの歌』第11番・第12番(ストーティン)、ブラームス:カンタータ『リナルド』(ヨナス・カウフマン) アバド指揮

  • シベリウス:交響曲第5番、交響曲第6番、交響曲第7番 ラトル指揮

  • ベートーヴェン:三重協奏曲(ヘルムヒェン、スタブラヴァ、L. クヴァント)、ブルックナー:交響曲第6番 ブロムシュテット指揮

  • ラヴェル:クープランの墓、バルトーク:ヴィオラ協奏曲(タベア・ツィンマーマン)、ブラームス:交響曲第2番 ビシュコフ指揮

  • (GP マーラー:交響曲第9番 ラトル指揮)(サントリーホール)

  • ヤナーチェク:シンフォニエッタ、ブルックナー:交響曲第7番 ラトル指揮(楽友協会)(他はすべてベルリン・フィルハーモニー)

 やはりベートーヴェンの交響曲はない(というのはベルリン・フィルなので実際さすがに記憶していたが記録として振り返ってみた)。ベルリン・フィルとラトルによるベートーヴェン交響曲全曲をここにきて聴くことができるとは何とも良い巡り合わせ。

 前半の第1番を聴いただけでもすでに大きな充実感。やはり上手いと言うほかない。しかしこれをはるかに上回って素晴らしかったのは、後半の第3番「英雄」。曲自体の力が違うとは言え、第1番は陰に隠れてしまうほど第3番が素晴らしかった。まだ初日だが、今回のツィクルスで最終的にこの曲が一番良かった、となっても不思議ではない。それくらい良かった。良かったというより凄かったという表現が合っているだろう。長い期間を共にし、集大成的な位置づけで行われる公演だけあってか、隅々まで表現の意図が共有され神経の通った音が息をつく間もないほどに飛んでくる。表現の振れ幅が尋常ではない。第1楽章展開部の緊張感など、宇宙の咆哮ただなかに放り込まれた気すらした。物語を感じさせる雄大な英雄交響曲。あたかも『英雄』という映画を観ているようだ。昨シーズン、ちょうど一年前のウィーン・フィル/ブロムシュテットによる「英雄」など比較の対象にすらならない。目指している地平の次元が違いすぎる。

 今日は席をPodiumにしてみた。ベルリン・フィルハーモニーにもPodium席があるが一度も座らなかった。安いし臨場感もあるから一度くらい座ればよかったかなと思う。だから今回の5公演のうち1回くらい奏者の真後ろで聴いてみようと思いPodium席にした。舞台後ろの方の奏者たちはここの出入り口から入って来るので、直前だと楽器をもって待っている何人かの奏者たちの横を通って席に着く。席は今日のティンパニ奏者Seegersの真後ろ。ラトルはもちろんコンマスの樫本大進も他の奏者と表情でコンタクトを取っている様子まで良く見える。何か所かは勇み足でずれているところはずれていたと思うが、それも今日はすぐ後ろから指揮者・奏者がすぐさま合わせる様子を観て/聴いていた。

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休憩中に座席から。これから「英雄」が始まる。


 ベルリン・フィル/ラトルがこのベートーヴェン交響曲ツィクルスで目指している地点は、我々がいまだ到達したことのないところにある。そう感じるほどに今日の英雄交響曲のインパクトは凄まじかった。


【参考CD】 クラシック音楽ファンなら誰でも持っている(かどうか知らないが)2002年録音(楽友協会)のウィーン・フィル/ラトルのベートーヴェン交響曲全集。

Beethoven Symphonies

Beethoven Symphonies



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余談
 ラトルが数か月前にウィーン国立歌劇場で『ニーベルングの指環』全4作を指揮した時はこうはいかなかった。かなりずれが目立った。期間が短いせいだったろう。ブーも多く出たあの公演、ラトルにぐちゃぐちゃにされた、という感想を持った人も多いかもしれない。今日の水準でオケと隅々まで表現の意図を共有できていたらものすごい演奏になっていたと思う。その片鱗は明らかに聴くことができ、上演として私は良かったと思っているが、その片鱗を聴くことができたかどうか、もしくはそれをそもそも高く評価するかどうかが評価の分かれ目だっただろうか(ひいき目かもしれないが、あの公演ではラトルのやろうとしていることをオケができていなかったというのが私の感想)。

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