フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

大野和士/都響 欧州ツアー(最終公演) ウィーン・コンツェルトハウス 2015年11月23日

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Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra, Orchester
Vadim Repin, Violine
Kazushi Ono, Dirigent

Claude Debussy
La Mer. Drei symphonische Skizzen (1903-1905)
Sergej Prokofjew
Konzert für Violine und Orchester Nr. 2 g-moll op. 63 (1935)
***
Peter Iljitsch Tschaikowsky
Symphonie Nr. 4 f-moll op. 36 (1877)

Zwei Zugaben: 映画『他人の顔』よりワルツ(武満徹)、「だったん人の踊り」

Cb: 8/4/8
座席 Proszeniumsloge左 3列4番、後半 5. Loge右2列4番

 大野和士/東京都交響楽団のヨーロッパ演奏旅行最終公演、ウィーン・コンツェルトハウス。帰国すればいくらでも聴けるであろう日本のオケをウィーンにいてわざわざ聴こうとは思わないところだが、音楽監督になった大野和士との欧州ツアーということ、もうひとつはヨーロッパのオケを聴いている真っただ中で日本のオケを聴いてみようということでチケットを買っておいた。大野和士は新国で2010年12月に『トリスタンとイゾルデ』のGPを観て以来2回目。都響は聴いたことあったかなぁと思ったが鑑賞履歴表で振り返ってみると演奏会(2007年)、オペラ公演(2014年二期会『ドン・カルロ』)各1回聴いていた。

 今シーズン9月からウィーン・フィル、シュターツカペレ・ベルリン、シュターツカペレ・ドレスデン、トーン・キュンストラー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラ、ウィーン交響楽団、パリ管弦楽団、ベルリン・フィル、イル・ジャルディーノ・アルモニコを聴いてきて聴いた今日の東京都交響楽団。自分の鑑賞史的視点から見て面白い演奏会だった。

 今日の演奏会、楽友協会でのウィーン・フィル/メストとかぶっていた(そのメストは体調不良でキャンセルだった)が、座席は3階にやや空きがあったとはいえ全体にまあまあ埋まっていた。日本人の聴衆もいるにはいたが思ったほど多くはなかった(佐渡裕/トーン・キュンストラー管の演奏会の方がもう少し多かったと思う)。それで全体としては結構埋まっていたから少し不思議。結構来るもんだなぁと思いながら客席を見渡していた。

 ドビュッシー『海―3つの交響的スケッチ』。聴きながら心の中でつぶやいたオケに対しての最初の感想:真面目か! これが聴き始めて最初に感じたこと。日本のオケの(オペラ公演などではなく)演奏会を聴くのはかなり久しぶりだと思うが、演奏が真面目真面目。日本のオケは真面目だな。良い意味でも悪い意味でも。繊細な響きを出す弦楽器群のまとまり具合が日本の学校の体育の授業よろしく前に倣え。それにしても良くまとまっている。全体に音の響き、音の造形を丁寧に作り上げてきたのが感じられた。その点指揮者大野が上手く統率していると思った。この曲を隅々まで丁寧に描いていた。特に弦楽器がしっかり統率されているのはどの曲でも感じた。ただ常に緊張しているようで堅苦しく聴こえるのでもう少し緊張と弛緩のバランスと言おうか、余裕とか懐の広さのようなものがあればと思った。楽譜を前にして周りと合わせることの優先度が高くて(高すぎて)、1.それぞれの奏者の最大値が出きっていない、2.自然な音楽の流れがあまり感じられない(譜面上の小節単位で音を鳴らしているような)印象を受ける。小さい意味での「音楽作り」になっている気がややする。それと盛り上がるところでオケの底の浅さが。迫力を出そうとしてもすぐうるさく聴こえてしまう。

 プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番ト短調。ヴァイオリンのレーピンがとんでもない演奏で白けた。あまりに酷いので何と言っていいかわからない。相当調子が悪かったとしか思えない。ソリストとして舞台に上がってはいけないような演奏。音程などあったものではない。あまりに酷かったので逆に、下手だ、とも言えない。評価対象外、とするしかない。さすがにあんな下手なはずはないだろう。チューニングがおかしいかったのか。だったら楽章間で直してもいいはず。だから高熱があったとか、間違えて他人の楽器で演奏していたとか馬鹿げた想像をする以外にあの酷い演奏が繰り広げられたことを納得することができない(どちらでもないと思うが)。オケはあくまで真面目に演奏していくが、この曲の室内楽的な性格もあって、ソリストの音程がぐちゃぐちゃでだんだんオケの方すらも聴けなくなってくる。もう何を聴けばいいんだよ、という状況。さすがに白ける。まあウィーンだとどんな演奏でもとりあえず普通に拍手出ちゃうんだけど、他の都市での演奏はどうだったのだろうか。アンコールもやったようなのでまともな演奏だったことを願う。音程がどうしようもなかったが、艶のあるしなやかな音の持ち主であることはわかった。アンコールは無し。そりゃそうでしょうね。やるわけないと思った。

 チャイコフスキー交響曲第4番ヘ短調。コンマスは曲ごとに代わっていた。大野和士の指揮で聴く初めての交響曲。重厚感たっぷりでくるがどうしてもオケの底の浅さが垣間見える。特に管楽器群が弱いと言わざるを得ない。しっかり統率された弦の上で、そこでずれるの?ってところでずれたり、音程が残念だったり。それと特に金管は、音量としてはffをしっかり出すことは出すが、アマチュアが張り切って出しているかのようでうるさく聴こえる。
 演奏としては例えば第1楽章の終わり、大野の棒に煽られて盛り上がるオケの響きの緊張感は素晴らしかった。この時は聴衆も息をのむかのように聴き入っていた。第2楽章はなかなかゆっくり演奏していたが、あの味気ない、淡泊な音では飽きてくる。ゆっくりじっくり聴かせるほどの音を木管群が持っていない。第3楽章の弦楽器群のピッチカートによるアンサンブルの素晴らしさには(心の中で)拍手。第4楽章でまた金管群が張り切るのだが、うるさいし、張り切って力んでのffで余裕がないからすぐ音をミスる。ティンパニは、叩き方がダサいのは置いておくとして、堅実に叩いているが音程が気になる個所が結構あったし音そのものも物足りない。(とまあ、ほんの1週間前に楽友協会で5日連続5公演ベルリン・フィルを聴いて来たらこんな感想になってしまうか)

 アンコールは2曲。1曲目は大野が拍手を手で止めて、ドイツ語で紹介してから演奏(Vielen Dank. Wir spielen noch ein Stück, Walzer von Takemitsu aus einem Film, dessen Titel "Das Gesicht des Anderen" heißtだったかな)。2曲目はいきなり演奏。曲も盛り上がって終わるので会場も大盛り上がり。

 過去に2回だけ都響を聴いたことがあると書いたがどちらの時も都響を目当てに聴きに行ったわけではなかったから、大野が指揮したから今までより良くなったのかどうかについては何も言えないが、このオケで今日の演奏を聴かせてくれるのはさすがだと思った。全体の統率感はかなりのものだった。だがそれも複雑。大野にはやはり違うオケ・劇場に行ってほしかったと今でも思う(リヨン国立歌劇場でも2008年から首席指揮者として振っているし、バルセロナ交響楽団の音楽監督にこの9月に就任してはいるが)。このオケでここまで聴かせるのはさすがとか、~のわりに良いというのではなくて、大野がやりたいことをもっと体現できるオケで大野がやりたいことをやった演奏をしっかり聴きたい。純粋に凄い演奏が聴きたい。そのオケが別に都響でもいいわけだが、管があれだと...(管楽器、若い世代にもっと上手い人たくさんいると思うんだけどなぁ。ただ、管に限らず、本当に上手い人たちは日本のオケに入りたがらないという...)。今日の演奏はこのオケとして今出せるほぼ最高のパフォーマンスだったのだと思う。演奏の出来(そのオケが今出せるパフォーマンスをどれだけ出し切ったか)で言えばヨーロッパのその辺のオケのその辺の演奏会よりも出来は良いと思う。その意味でやはり生真面目に演奏し切っている。だが演奏そのものに関して言えば、特別なツアーに向けて練習して公演回数も重ねてきての渾身の演奏でこれか...とも言える。オケの能力そのものの限界を感じさせずにはいなかった。演奏の出来は良くても(良かったからこそ)それとは別にオケの底が見えた。

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