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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ロッシーニ『オテロ』 アン・デア・ウィーン劇場 2016年2月26日

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Otello
Dramma per musica in drei Akten (1816)
Musik von Gioachino Rossini
Libretto von Francesco Maria Berio

In italienischer Sprache mit deutschen Übertitlen

Musikalische Leitung | Antonello Manacorda
Inszenierung | Damiano Michieletto
Bühne | Paolo Fantin
Kostüme | Carla Teti
Licht | Alessandro Carletti

Otello | John Osborn
Desdemona | Nino Machaidze→Carmen Romeu (23. & 26. Februar)
Jago | Vladimir Dmitruk
Rodrigo | Maxim Mironov
Elmiro | Fulvio Bettini
Emilia | Gaia Petrone→Alix Le Saux (26. & 28. Februar)
Doge | Nicola Pamio
Un gondoliere & Lucio | Julian Henao Gonzalez

Paolo e Francesca| Viktor Saxinger und Fabiola Varga

Orchester Wiener Symphoniker
Chor Arnold Schoenberg Chor (Ltg. Erwin Ortner)

座席 立ち見左

 プレミエは1週間前の2月19日。とても良い公演だった。

ロッシーニの『オテロ』の特徴

 今日ヴェルディの『オテロ』に完全に取って代わられているロッシーニの『オテロ』は1816年12月4日にナポリで初演された。『セビリアの理髪師』(1816年2月20日初演)と『チェネレントラ』(1817年1月25日)の間に成立した作品。ヴェルディのみならず、ロッシーニのオペラのなかでも『セビリアの理髪師』と『チェネレントラ』に覆い隠される形になってしまっているが、完成から11年後にはドニゼッティに引用されている。ドニゼッティの『劇場の都合不都合』(1827)の第2幕でアガタによってめちゃくちゃに歌われるアリアはロッシーニの『オテロ』の「柳の歌」のパロディーである*1(→1週間ほど前にフォルクスオーパーで観たドニゼッティの『劇場の都合不都合』(ロランド・ビリャソン演出))。

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*1 フォルクスオーパーのドニゼッティ『劇場の都合不都合』の公演プログラム冊子に「19世紀に有名だったロッシーニの『オテロ』」(61頁)との記述がある。

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© Werner Kmetitsch
話し合うイアーゴとロドリゴ


 原作であるシェイクスピアの『オテロ』と比較して、フランチェスコ・ベリオ台本のロッシーニ『オテロ』には設定に大きな違いがある。場所はキプロスからヴェネチアへ移され、登場人物も違う。デズデモナの父エルミーロ(原作ではブラバンショー)と、ロドリゴの父でヴェネツィア総督のドーゲと親が2人登場する。奸計を働くのはイアーゴなのだが、カッシオは出てこない。代わりにロドリゴが重要になってくる。エミリアはイアーゴの妻でデズデモナの侍女だったが、単に侍女になっている。

 もうひとつの大きな違いは、シェイクスピアの原作(とヴェルディでは)オテロとデズデモナは結婚している状態だが、ロッシーニでは恋人同士ではあるが結婚していない。父エルミーロはいわゆる政略結婚として娘のデズデモナを総督ドーゲの息子であるロドリゴと結婚させようとする。これでロドリゴが恋敵となり、オテロ対ロドリゴの構図になる。そこに親が絡んでいると言うのがポイント。そこで一計めぐらすのがイアーゴというのは同じ。細かい違いではハンカチが恋文になっている。最終的にロドリゴは愛と友情を語り和解を申し出て、父も娘とオテロの結婚を許すと言うが、時すでに遅し、という展開になる。

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Fulvio Bettini (Elmiro), Maxim Mironov (Rodrigo), Nino Machaidze (Desdemona) © Werner Kmetitsch
エルミーロ(左)が大勢の前でロドリゴとデズデモナの結婚を公表する。


 ロッシーニの『オテロ』では、オテロがデズデモナとカッシオの仲を疑って猜疑心と嫉妬心から...という展開ではなく、親、ヴェネツィアの有力者たちの思惑により現実にオテロ対ロドリゴの構図になる。したがってオテロの嫉妬というテーマは原作と比較すると薄れている。ロッシーニが書いた音楽面から見てもオテロよりデズデモナが歌う方が量的に多く目立つ。全体としてみると、有力者たちの権力闘争の渦に巻き込まれ犠牲になったデズデモナの物語、という印象が強い。2人の父親の存在により作品の性格がかなり変わっている。

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© Werner Kmetitsch
荒れる会場

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© Werner Kmetitsch
結婚発表後会場は大荒れとなり第1幕終了

ロッシーニ『オテロ』の特徴を先鋭化、鮮明に提示した演出

 演出を手がけたダミアーノ・ミキエレットは新国では『コジ・ファン・トゥッテ』の演出をしている(2010、2013年再演)。あのキャンピングカーのやつ。プログラム冊子の紹介文中のにもフェニーチェ、ミラノ・スカラ座、パレルモ、チューリヒ歌劇場、マドリード、ザルツブルク音楽祭などと並んで"Tokio (Mozart: Così fan tutte)"と挙げられていた。ほかに二期会の『イドメネオ』の演出もした(2014)(これはここアン・デア・ウィーン劇場との共同制作)。新国の『コジ・ファン・トゥッテ』(2013年に)、二期会の『イドメネオ』も観た。

 この『オテロ』の演出はとても良かったと思う。かなり冴えていたのではないか。冴えていると思った点をひとつだけ上げるとすればエミリアの扱い。ミキエレットの演出ではエミリアはデズデモナの侍女ではなく妹という設定になっている。これをはっきりさせるためか、冒頭で、舞台後方での大きなテーブルがある大広間に登場人物が順番に現れる際に字幕が投影され映画の冒頭のように名前(と役割)が出て、例えば「エミリア、デズデモナの妹」という風に出る。エミリアの舞台上での振る舞いも侍女のそれでは全くない。どこか生意気なところがある。

 ムスリムのオテロはターバンを巻いている。デズデモナには黒いスカーフを贈る。デズデモナはこれを着用するが、これは父エルミーロに無理やり取り上げられてしまう。

 ミキエレットはエミリアを妹という設定にしたほか、台本にない若い男女を登場させた。これが壁にかかっている絵の中の男女であることは見た目からわかる。

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© Werner Kmetitsch


 この男女はダンテ『神曲』地獄篇に出てくるフランチェスカ(・ダ・リミニ)とパオロ。

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Nino Machaidze (Desdemona) © Werner Kmetitsch
背景の絵はガエターノ・プレヴィアーティ『パオロとフランンチェスカの死』
Gaetano Previati (1852-1920): Morte di Paolo e Francesca, ca. 1887. (Accademia Carrara di Belle Arti di Bergamo)

 第3幕でデズデモナは(ダンテの神曲から引用された言葉を耳にして*2)不実な者のために身を滅ぼした友人イサウラ(Isaura)を回想する。そのとき舞台上に出て来るのがフランチェスカ。悲愴な運命をたどった女性たちを重ね合わせている。

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*2 "Nichts schmerzt so sehr, als sich an das Glück zu erinnern, wenn man in Not ist".

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© Werner Kmetitsch

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© Werner Kmetitsch
デズデモナに寄り添うオテロ


 エミリアがデズデモナの妹、言い換えれば父エルミーロの次女であるというこの設定は最後にその重要な役割を果たした。デズデモナが息を引き取るところで、オテロとの結婚を許す気になった父エルミーロが「私の娘の手を」("die Hand meiner Tochter")*3と、そしてオテロがデズデモナを抱きかかえながら「あなたの娘の手を...」("die Hand deiner Tochter")と歌う。この時デズデモナとオテロのみが舞台前方にいて、ほかの人物たちは皆後方にいる。父エルミーロの横にはいまやデズデモナを諦め憎しみを捨て愛と友情を語るロドリゴ。エルミーロとオテロの台詞の中の「娘」はどちらもデズデモナを指しているはずだが、この演出でエルミーロの台詞はこう読みかえられている。「[デズデモナはオテロと結婚するが、ロドリゴよ、]私の[もう一人の]娘[エミリア]の手を[取ってくれ]」、と。こうしてロドリゴと「次女」エミリアは結ばれる。その前景では息を引き取ったデズデモナを抱きかかえながら崩れるオテロ。この対比をもって幕となる。

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*3 原語は"La man di figlia"。後者は"La man di tua figlia"となっている。

 なるほどな、と思った。エミリアを妹にして、だからどうしたの、と一見大した事なさそうに見えなくもないが、政略、権力闘争の舞台ヴェネチアの社会と純粋な愛に素直に生きるデズデモナとの間の溝を無慈悲にも見せつける最終場面のインパクトにつながっていると理解した。その溝は舞台前景と背景とに2分された舞台区分(間には薄い仕切り)によっても構造化されている。我々が観ているのはたしかにデズデモナとオテロの物語だがその「背景」としての社会的要素がそのまま舞台の背景にある。有力者たちの闘争の犠牲になったデズデモナ。演出はうまく見せてくれたと思う。

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© Werner Kmetitsch
デズデモナはオテロの拳銃を取り、自ら引き金を引いて絶命した。この背景でロドリゴとエミリアが手を取り合っている。


 照明含め美しい舞台だった。

演奏

 数日前、前日に配役変更の知らせ。2人交代。デズデモナを歌うニーノ・マチャイゼが体調不良でカルメン・ロメウに代わり、エミリア役のガイア・ペトローネも体調不良で交代。

Umbesetzung in "Otello" am 23., 26.2. & 28.2 Carmen Romeu springt für die erkrankte Nino Machaidze in der Rolle der Desdemona ein. Für die erkrankte Nino Machaidze singt die spanische Sopranistin Carmen Romeu am 23.2. die Rolle der Desdemona von der Seite, Nino Machaidze wird auf der Bühne spielen. Die Vorstellung am Freitag, den 26.2. spielt und singt Carmen Romeu. Sie hat Rossinis „Desdemona“ zuletzt 2014 an der Vlaamse Opera gesungen und auf CD aufgenommen.

Anstelle der erkrankten Gaia Petrone singt Alix le Saux am 26.2. die Rolle der Emilia, auf der Bühne spielt Gaia Petrone. Die Vorstellung am 28.2. spielt und singt Alix le Saux.

 急すぎて、代役を立てるも演じる(spielen)と歌う(singen)を分けている。今日(26日)の上演ではガイア・ペトローネの代わりにアリ・ル・ソーが歌いますが舞台上ではガイア・ペトローネが演じます、と。28日はアリ・ル・ソーが演じてかつ歌います、と。23日はマチャイゼが演じ、ロメウが歌ったようだ。デズデモナの方には説明の後「ロメウはロッシーニのデズデモナを直近では2014年にフランドル・オペラで歌い、CD録音をしました」と実績を少し強調。上演直前にやはり支配人が出てきて挨拶と事情説明をした。以下簡単に感想。

オテロ役のテノール、ジョン・オズボーン。高音は力強いが、硬質で窮屈な印象も。

ロドリゴ役のテノールマキシム・ミロノフは逆に軽い声のテノールで軽く明るい高音を出す。声量がやや弱いか。

イアーゴ役のウラディミール・ロミトルクは3人のテノールの中で一番太い声で邪悪さを醸し出しながら演技含め好演していた。

主要男声3人がテノールというこのオペラ。3人が歌う場面は面白い。

デズデモナ役のカルメン・ロメウ。急遽代役ということでか音程が不安定な個所が所々出てくる。それでも歌手として上手いのは伝わってくる。

エミリア役のアリ・ル・ソー、もともとのセンスが良い感じの歌手だ。音程感覚が良いのか、自然に聴いていられる。

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休憩中。急遽代役となったアリ・ル・ソーはトランペットとティンパニの間に立って歌った。
2日前のヘンデル『オルランド』の時の舞台セットはこの状態そのままだった。


 オケはウィーン交響楽団。それほどストイックにやってきた感じはなかった。指揮は平凡な印象。アーノルト・シェーンベルク合唱団は期待を裏切らず素晴らしい。

 音楽が期待通りのロッシーニ節で面白い。あまりにロッシーニロッシーニしているところでは、「自分は今『セビリアの理髪師』でも観てるのか?」と思うほど。途中モーツァルトのピアノ協奏曲第25番第1楽章に似た弦楽の響きが聴こえてきたりも。ヴェルディの『オテロ』は何度も観たくないが、ロッシーニの『オテロ』は観たいと思える。


*本公演でオテロを歌ったジョン・オズボーン出演のBlu-ray

ロッシーニ『オテロ』全曲 チューリヒ歌劇場、レイザ&コリエ演出、 ラ・シンティッラ管弦楽団(古楽器オーケストラ)&ムハイ・タン(指揮)、ジョン・オズボーン、チェチーリア・バルトリ、他(2012)(HMV)

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