フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ヘンデル『アグリッピーナ』 アン・デア・ウィーン劇場 2016年3月20日

agrippina theanter an der wien 2016
Agrippina
Dramma per musica in drei Akten (1709)
Musik von Georg Friedrich Händel
Libretto von Vincenzo Grimani

In italienischer Sprache mit deutschen Übertitlen

Musikalische Leitung | Thomas Hengelbrock
Inszenierung | Robert Carsen
Ausstattung | Gideon Davey
Licht | Robert Carsen, Peter van Praet
Video | Ian Galloway
Dramaturgie | Ian Burton

Agrippina | Patricia Bardon
Nerone | Jake Arditti
Poppea | Danielle de Niese
Ottone | Filippo Mineccia
Claudio | Mika Kares
Pallante | Damien Pass
Narciso | Tom Verney
Lesbo | Christoph Seidl
Orchester | Balthasar Neumann Ensemble

プレミエ 2016年3月18日

9,7,6,5,2, Harfe, Lauten(2), Cemb, Orgel, Fl2, Ob2, Fg, Tr2, Timp

3時間30分(含休憩1回)

座席 立ち見右

 ヘンデルの『アグリッピーナ』は6年前にベルリンのウンター・デン・リンデン(ベルリン”国立”歌劇場)で観た(演出はヴァンサン・ブサール、衣装にクリスチャン・ラクロワ)。シュターツカペレ・ベルリン/ルネ・ヤーコプス指揮で、アンナ・プロハスカ(ポッペア)が印象に残っている。

 今日はアン・デア・ウィーン劇場で演出はロバート・カーセン、トーマス・ヘンゲルブロック指揮、オーケストラは彼が1995年に設立したバルタザール・ノイマン・アンサンブルによる演奏。歌手陣にはアグリッピーナのパトリシア・バードン、ポッペアのダニエル・デ・ニースに加え3人のカウンターテノール。プレミエは一昨日の3月18日、今日は2回目の上演。素晴らしい上演だった。


ヘンデル『アグリッピーナ』(1709)

agrippina アグリッピーナ
若き日のアグリッピーナ、頭部紀元40年頃、胸部18世紀(Museum of Art of the Rhode Island School of Design) © Roger B. Ulrich

 ヘンデル(1685-1759)の『アグリッピーナ』(1709)はイタリア滞在(1706-1710)の終わり頃に(おそらくナポリで)作曲された。イタリア滞在の成果が結実したオペラ。台本は「ヘンデルのオペラの中で最も優れているもののひとつで、彼の他の多くの作品とは違ってそれまでに音楽を付けられていない台本だった」(Ian Burton*1、プログラム冊子17頁)。書いたのはヴェネツィアの枢機卿、外交官、脚本家のヴィンチェンゾ・グリマーニ(Vincenzo Grimani, 1655-1710)。ヘンデルは22歳の時にハノーファーで出会っている。イタリアで再会。『アグリッピーナ』が生まれる。*2

 初演はカーニヴァルシーズンの始まる1709年12月26日ヴェネツィア、作品の委託元でグリマーニの所有するサン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場(Teatro San Giovanni Grisostomo)で行われ大きな成功を収めた。上演数は27回にのぼった。観客から「親愛なるザクセン人万歳!」("Viva, il caro Sassone!" ("Es lebe der teure Sachse!"))と叫ばれたことが語り継がれている。他の地でも上演され、ヘンデルのオペラ作曲家としての最初の重要な成功だった。18世紀にはヘンデルの他のオペラ同様上演されなくなった。1943年になって出生地のハレで再演された。歴史的な演奏実践に基づいた上演は1991年にゲッティンゲンでCapella Savaria/マクギガン(Nicholas McGegan)指揮で行われた。

 アグリッピーナ、ネロ、クラウディオ、ネローネ、ポッペアを中心とする8人の登場人物で進んでいく。合唱はない。多くのアリアに彩られ進行する。全3幕、上演時間約3時間。
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*1 イアン・バートン(Ian Burton)はイギリス出身の作家、ドラマトゥルク。25年以上にわたり演出家のロバート・カーセンと働いている。(なお引用文の翻訳は私による)
*2 ヘンデルの『アグリッピーナ』の前年にニコラ・ポルポラ(Nicola Porpora, 1686-1768 ファリネリやハイドンを指導したことで知られる)作曲の『アグリッピーナ』(1708、ナポリ)がある。ヘンデルもグリアーニもその存在について知っていた。

agrippina 1709
ヘンデル『アグリッピーナ』初演時の印刷表紙。(Wikimedia Commons


あらすじ

agrippina
アグリッピーナの肖像入り硬貨、紀元50年頃 © the Trustees of the British Museum

 54年ローマ。アグリッピーナの夫である皇帝クラウディオは戦地にいる。皇帝が死んだとのうわさを聞いたアグリピーナは前夫との間の息子ネローネを次期皇帝の座につけようとする。しかしクラウディオは将軍オットーネによって助けられ、死んでいなかった。クラウディオは感謝からオットーネを後継者とする。ネローネとオットーネ、2人の後継者の対立。状況はもっと複雑になる。クラウディオとネローネもオットーネの恋人ポッペアに惹かれている。アグリッピーナは策略を巡らす。皇帝から裏切り者とされたオットーネを救うためポッペアも一計を仕掛けネローネを騙す。最終的にオットーネは次期皇帝の座を約束されるがそれよりもポッペアを妻とすることを選ぶ。ネロが皇帝の後継者となる。「しかし、歴史とそしてモンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』から人は知っている、この状況が長くは続かないことを」(アン・デア・ウィーン劇場)*3。
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*3 引用文の翻訳は私による。以下はアン・デア・ウィーン劇場でのモンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』(2015年10月)についての記事


上演

agrippina Patricia Bardon (Agrippina), Damien Pass (Pallante), Tom Verney (Narciso)
Patricia Bardon (Agrippina), Damien Pass (Pallante), Tom Verney (Narciso) © Werner Kmetitsch
クラウディオが死んだとの知らせを受け策略を始動させるアグリッピーナ


 演出のロバート・カーセンは舞台を現代に移し豊かな発想で登場人物たちを動かす。すべて自然に展開していき、深刻な面を見せつつユーモアに富んだ優れた演出。映像も上手く使っていて面白かった。舞台も良くできている。

 アグリッピーナはクラウディオが死んだとの知らせを受け策略を始動させる。最初にパランテとナルチーゾを色仕掛けで落とす場面が面白い。

Jake Arditti (Nerone) © Werner Kmetitsch
Jake Arditti (Nerone) © Werner Kmetitsch


 アグリッピーナはネローネの支持率を上げるために街頭での撮影を指示する。道端で施しを求める貧しい人々に対してネローネは気前よく皆にお金を配るのだが、これらはすべて仕組まれている。カメラが止まるとエキストラの”貧しい人々”はお金をスタッフに戻して帰る。こうして支持率を上げたネローネは皇帝の座を掴みかけるが、そこに皇帝の帰還を知らせるトランペットの音が聞こえてくる。

Filippo Mineccia (Ottone), Statisterie © Werner Kmetitsch
Filippo Mineccia (Ottone), Statisterie © Werner Kmetitsch
オットーネが後継者に指名されたことを祝う

Patricia Bardon (Agrippina) und Danielle de Niese (Poppea) © Werner Kmetitisch
Patricia Bardon (Agrippina) und Danielle de Niese (Poppea) © Werner Kmetitisch
ポッペアはアグリッピーナからブランド物の服、靴、鞄をもらい一緒に並ぶ。

Mika Kares (Claudio), Ensemble, Statisten © Werner Kmetitisch
Mika Kares (Claudio), Ensemble, Statisten © Werner Kmetitisch
冒頭から舞台上に見かける"SPQR"の文字は"Senatus Populusque Romanus"(元老院とローマの市民)の略。

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写真は開演前


 休憩後、幕が上がると舞台はプール。

Patricia Bardon (Agrippina) und Statisterie © Werner Kmetitsch
Patricia Bardon (Agrippina) und Statisterie © Werner Kmetitsch


 オットーネとポッペアはアグリッピーナの策略にかかっている。ポッペアはオットーネを信じることができない。オットーネは何とか誤解を解く。

Danielle de Niese (Poppea), Filippo Mineccia (Ottone) © Werner Kmetitsch
Danielle de Niese (Poppea), Filippo Mineccia (Ottone) © Werner Kmetitsch


 ポッペアが自分の部屋で一計講じる(オットーネをベットの後ろに隠す。ネローネを呼びネローネにも隠れるように言い、クラウディオを迎える)場面でも舞台の使い方、人の動きが面白い。ネローネがやらかしてしまうその場面は映像に録画されていたことになっていて、アグリッピーナが息子の愚行に呆れる場面の直前でネローネが一人の時に部屋のテレビで流される。

Mika Kares (Claudio), Jake Arditti (Nerone), Statisten © Werner Kmetitsch
Mika Kares (Claudio), Jake Arditti (Nerone), Statisten © Werner Kmetitsch


 最後の場面。ポッペアを妻としたオットーネ、皇帝の後継者となったネローネ、それによって願いの叶ったアグリッピーナ。舞台は男女入り乱れて乱痴気騒ぎになったかと思いきや女性が皆ナイフで殺される。カメラを向けられたままの高笑いするネローネだけにスポットライトが当たり終了。一瞬客席が騒然として終わった。


歌手、オーケストラ

 アグリッピーナを歌ったソプラノはアイルランド出身のパトリシア・バードン。歌唱・演技ともに素晴らしかった。声そのものも良い。しっかりしつつも澄んだ感じもある。周りのカウンターテノールと調和する。彼女の声自体もどこかカウンターテノールの声のようにも聴こえところがあり、聴き手に目隠しをして女声だとばれないようにカウンターテノールっぽく歌ったらそう聴こえそうだ。素晴らしい歌唱に観客から一番大きな拍手喝采を受けた。

Patricia Bardon © Frances Marshall
Patricia Bardon © Frances Marshall


 ポッペア役のダニエル・デ・ニースはオーストラリアに生まれアメリカはロサンゼルスで育ちのソプラノ。2005年グラインドボーンでの『ジュリオ・チェーザレ』でクレオパトラ役に急遽代役として抜擢され生き生きとした歌唱と演技で一躍有名になったことはよく知られているだろう。

Danielle de Niese © Sven Amstien
Danielle de Niese © Sven Amstien

ヘンデル『ジュリオ・チェーザレ』(2005年上演)

デ・ニースがアリア"Da tempeste il legno infranto"を歌う場面は有名。2008年にECHO Klassikで受賞(Nachwuchskünstler)したデ・ニースは、ミュンヘンでの授賞式でこの曲を歌った。別部門で受賞したベルリン・フィルのオーボエ奏者アルブレヒト・マイアーがデ・ニースの隣に立ち共に演奏した。この曲は「ヘンデル・アリア集」でも収録されている。

ヘンデル・アリア集(2007)

Handel Arias

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  • アーティスト: George Frideric Handel,William Christie,Serge Saitta,Les Arts Florissants,Danielle de Niese,Florence Malgoire,Emmanuel Balssa,Jonathan Cable,Brian Feehan,Beatrice Martin
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 デ・ニースを聴くのは2回目。ベルリンでイル・ジャルディーノ・アルモニコ/アントニーニ指揮で聴いたデ・ニースの演奏会はとても良い思い出だ。2010年1月、-18℃の寒さの中ベルリン・コンツェルトハウスへ行った。ヘンデル・プログラムだった。 アンコールには「オンブラ・マイ・フ」など。『ジュリオ・チェーザレ』からのアリア"Da tempeste il legno infranto"は演奏会のハイライト。

 デ・ニース、やはり声が出る。演技を含め生き生きとした魅力は変わらずあるが、今日は聴いていて、難しそうだなと、技術的に苦戦している部分を感じさせられることがやや多かった。(それよりも(?)、まだ30代だと思うけど、体型の方がちょっと...。上記のCDジャケットは今は昔となりつつある、というかなってる)

 ネローネを歌ったジェイク・アルディッティはイギリス出身のカウンターテノール。アン・デア・ウィーン劇場では上述の2015年10月のモンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』でアモーレ役で出演していた。その時も優れた歌唱を聴かせてくれたが、今日も演技含め素晴らしかった。甘やかされているお母さん子ネローネの雰囲気も良く出ていた笑。

Jake Arditti © Peter M. Mayr
Jake Arditti © Peter M. Mayr


 他のカウンターテノールはイタリア出身のフィリッポ・ミネッチア(オットーネ)とイギリス出身のトム・ヴァーニー(ナルチーゾ)。パランテ役はオーストラリア出身のバスバリトン、ダミアン・パス。皇帝クラウディオ役はフィンランド出身のバス、ミカ・カレス。演技が面白く歌唱も良い。レスボ役のオーストリア出身のバス、クリストフ・ザイトルは体格は良いが声があまり出てない。声が通ってこない。彼はジェイク・アルディッティとともにアン・デア・ウィーン劇場のdas Junge Ensembleとのこと。

 トーマス・ヘンゲルブロック(Thomas Hengelbrock, 1958-)率いるバルタザール・ノイマン・アンサンブル(Balthasar Neumann Ensemble)の演奏もとても良かった。演奏し慣れている印象を受けた。重要なハープと2人のリュートの場面を決定づけるような効果的な演奏が良かった。


ヨーロッパにおけるヘンデルはもはやブームではない

 ときどき書いていることだが、ヨーロッパにいて嬉しいのはこうしたヘンデルあたりの作品をじっくり鑑賞できることだ。ヨーロッパではヘンデルのオペラ、オラトリオが頻繁に上演、演奏される。ヘンデル・ブームとも言われてきたが、もはやブームですらないように思う。それほど定着した感がある。日本にももっと余波が押し寄せ質の高い上演、演奏機会が増えることを願う(がおそらく時間がかかるだろう、特に歌手の問題で)。


おわりに

 素晴らしい上演だった。アン・デア・ウィーン劇場、こんな素晴らしい上演を当日ぱっと行って観て来れる。満足感が半端ない。改めて特に今シーズン(2015/16)のアン・デア・ウィーン劇場は凄いと思う。オペラハウスとして再興10周年(Theater an der Wien 10 Jahre Opernhaus)ということですべて新制作という気合の入りよう。演奏会形式含め演目・団体・歌手・演出と総合的に見ていかにも面白そうな公演がずらり。かなり逃しているが...。

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Theater an der Wien 2015/16, Otello (Februar) und Agrippina (März)


*【CD】 ベルリン古楽アカデミー/ルネ・ヤーコプス指揮のヘンデル『アグリッピーナ』(録音2010、ベルリン)(全トラックを30秒ずつ試聴できる)

ヘンデル:アグリッピーナ (Handel : Agrippina / Jacobs) [3CD]

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アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカ(アグリッピーナ)、ベジュン・メータ(オットーネ)らキャストは私が観た上演(ベルリン・ウンター・デン・リンデン、2010年2月)からポッペアだけ変更(ポッペア”だけ”とは言えそこがアンナ・プロハスカだったんですけど...)。初演前の稿を編集している版のため今日観たのとはやや違いがある。

**【放送・中継についての情報】

  • 3月29日20:30(日本時間3月30日早朝4:30)に放映される Der französische Fernsehsender MEZZO TV überträgt die Agrippina-Aufführung am 29. März ab 20.30 Uhr in HD Qualität, in ganz Europa über Satellit, Kabel, ADSL und div. Internet-Provider zu empfangen.
    Haendel's Agrippina at the Theater an der Wien | mezzo.tv(in ganz Europaってあるけど冊子にはweltweitってあったので日本でも観れるはず...)

  • LIVE中継は3月29日19:00(日本時間3月30日2:00、有料)LIVESTREAMINGS dieser HD-Live-Produktion bieten ab 19.00 Uhr die Plattformen Sonostream.tv weltweit (kostenpflichtig inkl. Video on demand) sowie Culture box auf culturebox.francetvinfo.fr (kostenfreies Service nur in Frankreich) an.
    LIVEで観れなくても後から4.99EURで視聴可能(なはず)

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