フィルハルモニ記

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A. スカルラッティ オラトリオ『カイン―最初の殺人』 アン・デア・ウィーン劇場 2016年3月23日

Theater an der Wien, Oper konzertant
Theater an der Wien, Oper konzertant © beyond/ André Sanchez/ carolineseidler.com

IL PRIMO OMICIDIO
(Trattenimento sacro per musica) Oratorium in zwei Teilen (1707)
Musik von Alessandro Scarlatti
Libretto von Antonio Ottoboni

Konzertante Aufführung in italienischer Sprache

Musikalische Leitung | Rinaldo Alessandrini
Adamo | Carlo Alemanno
Eva | Roberta Invernizzi
Caino | Sonia Prina
Abele | Monica Piccinini
Dio | Aurelio Schiavoni
Lucifero | Salvo Vitale
Orchester | Concerto Italiano

4,4,Cembalo,Vc2,Va2,Theorbe2,Cb1,Orgel

2時間半(含休憩1回)

座席 立ち見右

【記事の内容】



『アベルを殺すカイン』(c. 1544)、ティツィアーノ(Tiziano Vecellio、c. 1488/90-1576)(Santa Maria della Salute, Venice)(Wikimedia Commons)


カインとアベル―人類最初の殺人

 アダムは妻エヴァと寝た、彼女は身ごもり、息子を産み言った、「私は主の助けによってひとりの男を産んだ」。彼女は彼をカインと名付けた。その後彼女は2人目の息子を産み、アベルと名付けた。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、群れの中で生まれたばかりの子羊の中から最も良い子羊を持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。そこで主はカインに言った、「なぜおまえは憤るのか、なぜ顔を伏せるのか。正しい事をしているのなら、顔をあげたらよい。もし悪いことを企んでいるのなら、罪が門口に待ち伏せ、おまえを慕い求めてくる。おまえはそれを治めなければならない」。
 カインはしかし弟アベルに言った、「さあ来て、僕の畑をちょっと見てごらん」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、打ち殺した。
 主はカインに言った、「弟アベルはどこにるのか」。
 カインは答えた、「知りません。ひょっとしてわたしが弟の番人とでも?」。
 主は言った、「ああ、おまえは何をしたのか。聴こえないのか、おまえの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいるのが。おまえはこの畑に弟の血をしみ込ませたのだ。おまえは呪われ、この実り豊かな土地を離れなければならない。今後おまえが土地を耕したとしても、土地はもはやおまえのために実を結ぶことはない。おまえは故郷を失った地上の放浪者となるほかないのだ」。カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは私を地のおもてから、そしてあなたの庇護から追放されました。私は故郷を失った放浪者となるしかありません。私を見た者は誰でも私を殺すでしょう」。主はカインに言った、「いや、そうではない。わたしは定めた、カインを殺す者がいたら、その家族のうち七人が死ぬことになると」。そして主はカインにしるしを付け、カインに主の加護があることが誰にでもわかるようにした。それからカインは主のところから去り、エデンの東、ノドの地に住んだ。*1

『創世記』第4章、1-16節

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*1 文章はdie Gute Nachricht Bibel (1982/1997)から翻訳した(Die-Bibel.de, Online-Bibeln, die Gute Nachricht Bibel (1982/1997), "Das erste Buch Mose (Genesis)", 4, 1-16)。その際、『聖書』日本聖書協会、1955年(口語旧約聖書)(創世記(口語訳)、Wikisource)を参照した。

『カインとアベルと共にいるエヴァ』(Eva con Caino e Abele)(1520)、バッキアッカ(Bacchiacca (Francesco Ubertini), 1494-1557)
『カインとアベルと共にいるエヴァ』(1520)、バッキアッカ(Bacchiacca (Francesco Ubertini), 1494-1557)(Metropolitan Museum of Art, New York)(Wikimedia Commons)

『最初の嘆き』(1888)、ウィリアム・アドルフ・ブグロー(William Adolphe Bouguereau, 1825-1905)
『最初の嘆き』(1888)、ウィリアム・アドルフ・ブグロー(William Adolphe Bouguereau, 1825-1905)(Museo Nacional de Bellas Artes, Buenos Aires)(Wikimedia Commons)


アレッサンドロ・スカルラッティ―ナポリ楽派の先駆的作曲家

アレッサンドロ・スカルラッティの肖像画(18世紀)、作者不詳
アレッサンドロ・スカルラッティの肖像画(18世紀)、作者不詳(Museo internazionale e biblioteca della musica di Bologna)(Wikimedia Commons)

 シチリア島に生まれたアレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti, 1660-1725)はバロック期の作曲家ドメニコ・スカルラッティとピエトロ・フィリッポ・スカルラッティの父で、オペラの発展に大きく寄与したナポリ楽派の先駆的作曲家。100以上書いたとされるオペラのうち現存するのは50ほど。オラトリオは30数曲、カンタータは600以上書いたとされる。

 以下、本公演のプログラム冊子の解説("Der Komponist als Erzähler: Alessandro Scarlatti und Il primo omicidio", Norber Dubowy, S. 10-19)をおおいに参照しつつ書く。

 スカルラッティは1672年にさらなる音楽教育を受けにローマに向かう。当時のローマはオラトリオ作曲の中心だった。1679年に最初の職(San Giacomo degli Incurabiliのカペルマイスター)を得た。すでにラテン語オラトリオの作曲家として目立った存在だった。1682年の終わりにオラトリオと密接に結びついた教会のひとつだったSan Girolamo della caritàのカペルマイスターの職を引き継いだ。スカルラッティはローマで人気の音楽家となっていた。退位後にローマに住んでいた元スウェーデン女王クリスティーナのもとでの仕事を1679年から引き受けていたが、1684年にはナポリのスペイン総督の宮廷に移る。それでもローマのパトロンたちにはオラトリオを書き続けていた。スペイン継承戦争により1702年にナポリの支配がスペイン・ハプスブルク朝からスペイン・ブルボン朝に取って代わられた後、スカルラッティは辞職した。1708年にハプスブルク家がナポリを支配するようになってから彼は再びこの地でカペルマイスターの職につき、1717年から1722年までは再びかなりの時間をローマで過ごすが、1725年にナポリで没するまで務めた。

『ナポリの海岸』(Vue du golfe de Naples)(1748)、Claude Joseph Vernet
『ナポリ湾の風景』(1748)、クロード・ジョゼフ・ヴェルネ(Claude Joseph Vernet, 1714-1789)(Louvre-Lens)(Wikimedia Commons)


オラトリオ『カイン』誕生―1706/07年ヴェネツィア

 スカルラッティはナポリを離れて再び戻るまでの1702年から1708年までのほとんどをローマで過ごした。この期間は芸術的に充実した時期であり不安定な時期でもあった。スカルラッティはナポリでは毎シーズンになんとか1つか2つのオペラを書くことができていたが、ローマでは教皇の指示により1700年の聖年と1703年の地震以来オペラ上演は禁止されていた。スカルラッティにとってこの時期はオラトリオの作曲にはプラスとなった。オペラが禁止されていたローマではオラトリオが代替の役を果たしていたからである。スカルラッティは最終的にローマで約30のオラトリオを書いた。

 オラトリオ『カインあるいは最初の殺人』(Cain overo il primo omicidio)が書かれたのは1706年頃、場所はオペラの委託を受けて訪れていたヴェネツィア。当時ヴェネツィアはオペラハウスがきわめて充実し、継続的なオペラの歴史を誇る街であり、すべてのオペラ愛好家、作曲家、歌手たちにとっての巡礼の地だった。すでに10年にわたってオペラ作曲家としてローマ、ナポリ、フィレンツェで称賛されていたスカルラッティは、ヴェネツィアからそれまでまだ委託を受けていなかったことを不名誉と感じていたかもしれない。しかし1706年についに2つのオペラの委託を受けることになった。そうして1706/07年のカーニヴァルシーズン(四旬節)にヴェネツィアのサン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場*2で上演されることになるオペラMitridate EupatoreIl trionfo della librtàを作曲した。『カイン』はこの時期に生まれた。
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*2 サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場(Teatro San Giovanni Grisostomo)では(3日前に同じくここアン・デア・ウィーン劇場で観た)ヘンデル『アグリッピーナ』(1709)の初演が(同じくカーニヴァルシーズンに)行われている。


 このオラトリオの唯一の自筆総譜にはスカルラッティ自らの手で1707年1月7日と書き込まれている。これはオペラMitridate Eupatoreの完成時期と重なる。また、最初期のリブレットもヴェネツィアで印刷されていて、おそらく実際の上演のために印刷されたものと考えられる。そこにはヴェネツィアのカレンダーに従って"1706 M.V."("more veneto"=「ヴェネツィアの慣習に従って」)と記されている。ヴェネツィアの慣習(暦)に従うと新年は3月1日になるため、上演の日程は1707年の最初の2か月のどこかであろうことがわかる。しかし、どこで・誰によってこのオラトリオが上演されたかは知られていない。オラトリオに対する注目度はヴェネツィアではオペラよりもはるかに低かったが、それでも上演が検討されていた場所はいくつかあった。ひとつはSanta Maria della Fava教会で、ここは聖フィリッポ・ネーリ(1515-1595)のオラトリオ会(congregazione dell'oratorio)*3の信徒たちがヴェネツィアで集まる場所としていた教会。他に可能性がある場所としては、音楽の保護育成にとって重要な孤児院でヴィヴァルディの伝記で目にするピエタ慈善院(Ospedale della Pietà)が挙げられる。また、私的な団体が委託し上演したという可能性もあり、その場合には例えばグリマーニ家が考えられる。サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場の所有者であるグリマーニ家はスカルラッティにオペラをいくつか委託していた。スカルラッティは所有者のひとりであるヴェネツィアの枢機卿、外交官、脚本家のヴィンチェンゾ・グリマーニ(Vincenzo Grimani, 1655-1710)*4を知っていた。グリマーニはローマに住んでいていたし、のちにスペイン継承戦争が終結して少ししてからハプスブルクのナポリ総督にも就任することになるからである。スカルラッティを再び総督のカペルマイスターとしてその職に就けたのはこのグリマーニだった。
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*3 音楽用語の「オラトリオ」はネーリが設立したこのオラトリオ会に由来する。オラトリオという語は祈祷所という意味で、ネーリの信心会(=congregazione)が集った祈祷所(=Oratorio)で歌われる聖歌が「オラトリオ」と呼ばれるようになったことが音楽用語としての「オラトリオ」の始まり。
*4 グリマーニとはヘンデルも知り合いで、『アグリッピーナ』の台本はグリマーニによって書かれた。「[台本を]書いたのはヴェネツィアの枢機卿、外交官、脚本家のヴィンチェンゾ・グリマーニ(Vincenzo Grimani, 1655-1710)。ヘンデルは22歳の時にハノーファーで出会っている。イタリアで再会。『アグリッピーナ』が生まれる。初演はカーニヴァルシーズンの始まる1709年12月26日ヴェネツィア、作品の委託元でグリマーニの所有するサン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場(Teatro San Giovanni Grisostomo)で行われ大きな成功を収めた」(「ヘンデル『アグリッピーナ』 アン・デア・ウィーン劇場 2016年3月20日」本ブログ記事)。

スカルラッティ カイン 最初の殺人 ヴェネツィア リブレット
ヴェネツィアで印刷された最初期のリブレット表紙(1707)(Google Books)


台本―アントーニオ・オットボーニ

 『カイン』の台本はアントーニオ・オットボーニ(Antonio Ottoboni, 1646-1710)によって書かれた。息子の枢機卿ピエトロ・オットボーニ(Pietro Ottoboni, 1667-1740)はスカルラッティのローマでのパトロンで一時的には雇い主でもあった。オットボーニ家もヴェネツィアの家系で、音楽や劇をこよなく愛していた。2人はカンチェッレリア宮に住み、ここを芸術的に重要な場所にした。2人ともアルカディア・アカデミーのメンバーでもあり、オペラ、カンタータ、オラトリオのためのテクストを書いて取り巻きの音楽家たちに作曲させていた。その中にはアルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli, 1653-1713)やヘンデル(1685-1759)もいた。オットボーニ家が1710年のローマでの『カイン』の公演をスポンサーとして実現したこと、かつヴェネツィアでの初演にも関わっていたということは十分考えられる。


オラトリオ『カイン―最初の殺人』(1707)―あらすじと音楽

Kain ermordet seinen Bruder (1609), Rubens
『アベルを殺すカイン』(1609)、 ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577-1640)(The Courtauld Gallery, London)(Wikimedia Commons)

最初の人間の最初の尊い息子よ、
最初の殺人者よ、戦争の範をもたらした最初の者よ、
最初の裏切り者で最初の兄弟殺しの殺人者よ、
死ぬことにおいては2番目の者でしかないが、
運命はお前に定めているのだ、
(お前が望むのであれば)永劫の罰を受ける者となるように

(ルシフェルの声、スカルラッティ『カイン―最初の殺人』第2部)*5


『アベルの亡骸を見つけるアダムとイヴ』(The Body of Abel Found by Adam and Eve)(1825)、ウィリアム・ブレイク
『アベルの亡骸を見つけるアダムとイヴ』(The Body of Abel Found by Adam and Eve)(1825)、ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)(Tate Britain, London)(Wikimedia Commons)

 禁断の果実を食べエデンの園から追放されたアダムとエヴァの間に生まれたカインとアベルの物語―人類最初の殺人とされるカインの弟殺し―を題材とするオラトリオ『カイン―最初の殺人』(Cain overo il primo omicidio, 1707)。台本はラテン語ではなくイタリア語で書かれている。全2部。演奏時間は約2時間。配役はアダム(テノール)、エヴァ(ソプラノ)、カイン(アルト)、アベル(ソプラノ)、神の声(アルト)、ルシフェルの声(バス)。

 【第1部】禁断の果実を食べエデンの園から追放されたアダムとエヴァの間に生まれたカインとアベル。オラトリオは楽園から追放されたアダムとエヴァが息子たちを案ずる場面から始まる。無垢なアベルは両親を慰め、群れの中から最も良い子羊を神への捧げ物とし神の怒りを静めると約束する。このアベルの最初のアリア「群れの中から穢れなき子羊を」("Dalla mandra un puro agnello")は教会音楽的敬虔さを湛えながらヘンデルを思わせる旋律の甘美さを併せ持つ。カインは、アベルは厚かましい、先に生まれた自分こそが神の怒りを静めるのに相応しいと言い、みずから汗を流して耕した畑の作物こそが立派な贈り物であり神の気に入るのだと息巻く。

 しかし神の目に留まったのはアベルの捧げ物だった。強烈な妬みを抑えきれないカイン。陰鬱で荒々しいシンフォニアに続いて悪魔ルシフェルの声が聴こえてくる。ルシフェルに唆されアベルを殺すことを決意したカインは自分の畑を見せたいと言ってアベルを連れ出す。(レチタティーヴォ)「兄弟愛はいつも誠実な愛」("Sempre l'amor fraterno è un ben sincero")と言うアベルに対しカインは答える。「...皆そう言う、でもそれは真実じゃない」("...Ogn'un dice così, ma non è vero")。この台詞で第1部が終わる。終わり方はあっさりしている。

『カインとアベルの捧げ物』(Die Opfer Cains und Abels)(1860), Julius Schnorr von Carolsfeld (1794–1874)(Die Bibel in Bildern, Leipzig: Georg Wigand, 1860, Bl. 12)
『カインとアベルの捧げ物』(1860)、Julius Schnorr von Carolsfeld (1794–1874)(Die Bibel in Bildern, Leipzig: Georg Wigand, 1860, Bl. 12) © akg-images


 【第2部】カインはアベルに休憩しようと提案し、歩みを止めると不穏な胸中を歌う(「どうして小川はざわざわと音を立てるのだろう」("Perché mormora il ruscello"))。それに対してアベルが「君に小川が答えている」("Ti risponde il ruscelletto")と歌う。アベルによる儚さの漂う美しいレチタティーヴォ(「木々も小川も憩いを望むのなら、木々のもと小川のそばで僕も休もう」("Or se braman posar la fronda, e'lio, tra la fronda, e li ruscel riposo anche'io")の後、カインはアベルに襲いかかり打ち殺す。この場面の音楽は思いのほかあっけない。シンフォニアが演奏された後、神の声がカインに問い質す、弟アベルはどこにいるのかと。白を切るカインだが、アベルの死はすでに神の知るところである。カインは「私を生かし罰を与えてください、もしくは私を慈悲深く打ち殺してください」(アリア"O preservani per mia pena, o mi fulmina per pietà")と訴える。神の声はカインに「おまえに与える罰は死ではない」(アリア"Vuò il castigo, non voglio la morte")と告げる。追放の身となったカインは切迫した調子のアリア「両方欲しい、死も、生も」("Bramo insieme, e morte, e vita")を歌う。そこに再び届くルシフェルの声(この章の冒頭で引用した句を含むレチタティーヴォとアリア「力で神性を模倣するのだ」("Nel poter il Nume imita"))。しかしカインは自分の罪深さを認め静かに去る決意をし、両親に別れを告げるアリアを歌う(「私の両親、さようなら」"Miei genitori, addio")。ゆったりとしたテンポで歌われるこの別れのアリアは、哀愁の中に愛情がにじみ出るような温かさに溢れている。これ以降カインは登場しない。

 ここで物語の中心は再びアダムとエヴァに。2人は息子たちの運命をまだ知らない。いやな予感を抱き胸を痛めていると、アベルの声が天から聴こえてきて、地上では死んだが天上では生きていると両親に伝える。アダムは第一の人類として再び子孫を持つことを神に懇願し、いつか救済者("il Redentor" (=dt.:"der Erlöser"))が現れんことを望む(前半の子羊の犠牲(Opferlamm)はキリストの犠牲の死を暗示している)。するとそれに応える神の声が届く。最後の曲、アダムとエヴァの2重唱は未来への希望を秘め、慎ましい喜びを湛えつつ、晴れやかな気持ちを表すかのような付点リズムによる前向きな明るさの中で終わる。

 アダムとエヴァのレチタティーヴォとアリアで始まり同じくアダムとエヴァの2重唱で終わる。そしてカインによるアベル殺害の場面の音楽は思いのほかあっけない。このオラトリオの根底にあるのは、過激な作品タイトルから想像するのとは違って、罪、贖罪と並び愛や救済といったテーマだと言えるだろう。

【音楽】
 オペラと錯覚するような雰囲気と劇的さを併せ持つオラトリオ。音楽形式としては、2重唱と短いシンフォニアがいくつかあるほかは基本的にレチタティーヴォとアリアによって進行する。上述のように、スカルラッティがヴェネツィアに滞在しこの作品を書いた1707年頃からおよそ2年後の1709年に同じくヴェネツィアで、しかも同じ劇場でヘンデルのオペラ『アグリッピーナ』が初演されたが、やはり形式が似ていて通じるものがあり、ヘンデルのオペラやオラトリオを聴き慣れている人は入っていきやすいだろう。

 音楽は全体に抑制の効いた調子に保たれる。第1部、2部ともに終わり方もあっさりしている。そのなかで全6役が音楽的にくっきり描き分けられている―思慮深いアダム、深い愛情を湛えるエヴァ、屈折した心で弟を殺してしまうカイン、純真無垢なアベル、慈悲深い神の声、カインを唆す悪魔ルシフェルの声。その表現の幅の広さ、描き分けが味わい深い。

 このオラトリオの世界観をすっきりと表現していく小編成のオーケストラパートも冒頭から美しく、全編が聴き所とさえ言えるが、第2部冒頭からカインが両親との別れを歌うアリアまで(カインの不穏な胸中、アベルの死、シンフォニア、神とカインの問答、カインの焦燥、シンフォニア、悪魔ルシフェルの囁き、両親との惜別)が物語としても音楽としても大きな山場を形成し、このオラトリオのハイライトと言える。

 6声あるパートの中で独特なのは神の声とルシフェルの声の音楽。神の声は前半1度、後半3度、ルシフェルは前後半に1度ずつ登場し、前後半それぞれ最初の登場場面では先にシンフォニアが演奏される。後半のアベルの死の後、オーケストラの特徴的な音型に伴われ歌われる神の声のアリア「おまえに与える罰は死ではない」と、神の声とカインの問答のあとに歌われるルシフェルの声によるアリア「力で神性を模倣するのだ」などとても個性的で面白い。前者のアリアではオーケストラパートの音型を聴いて今月のイル・ジャルディーノ・アルモニコ/アントニーニの演奏会で聴いたハイドン交響曲第70番のフィナーレを思い出したりした。
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*5 歌詞は本公演プログラム冊子に掲載されている伊独対訳のドイツ語訳(Liesel B. Sayre訳)から翻訳した。本文中で括弧内にイタリア語を併記してある場合も日本語訳はドイツ語からの重訳である。

『カインとアベル』(1917)、ロヴィス・コリント(Lovis Corinth, 1858-1925)
『カインとアベル』(1917)、ロヴィス・コリント(Lovis Corinth, 1858-1925)(Museum Kunstpalast, Düsseldorf)(Wikimedia Commons)


演奏について

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開演前。歌手陣の並びは左から神、アベル、カイン、エヴァ、アダム、ルシフェル。舞台は先週から始まったヘンデル『アグリッピーナ』のまま。先月のヘンデル『オルランド』の時もその前後に上演中だったロッシーニ『オテロ』の舞台のままだった(ヘンデル『オルランド』 アン・デア・ウィーン劇場 2016年2月24日

 A. スカルラッティの今後聴く機会がないであろうような作品をこんな素晴らしい演奏で聴けて満足感ばかり。今日は歌手、オケ、指揮者とすべてイタリア勢だった。まず何よりもコンチェルト・イタリアーノ(Concerto Italiano)/リナルド・アレッサンドリーニ(Rinaldo Alessandrini)指揮(&チェンバロ)のいきいきとした演奏が素晴らしかった。はつらつとしていて流麗で技術的にも安定していて音程の純度も高い。1.&2.ヴァイオリン4人、チェロ2人、その後ろにヴィオラ2人、コントラバス1人、その他はリュート2人とオルガンという編成。ファゴットは無し。後半の方でアダム、エヴァ、神の声の曲のうちいくつかカットしていた。

 とても素晴らしい演奏で、ここまで素晴らしい演奏が聴けるとは思ってなかった。1.&2.Vn、Vcトップだけで弾く個所がいくつかあるが、ノンヴィブラートの澄んだ音が織りなすあの響きはなかなか聴けない素晴らしさ(ベルリンのゲッセマネ教会で聴いたベルリン古楽アカデミーによるモンテヴェルディ『聖母マリアの夕べの祈り』の美しい響きで恍惚としたのを思い出した)。雑音の混じった感じもほとんどなく、素直に響き渡る音で音量的な弱さも感じさせない。流麗なヴァイオリンに、深みがあり端正な響きのチェロ。常に自然な流れを失わず、柔らかく艶のある流麗な演奏(この演奏、劇場で聴くのも近さを感じることができていいのだが音響的にはもう少しふくよかな残響のある会場で聴いたら面白いのではないかと思った。どこか教会、あるいは楽友協会ホールでも良さそうだ。でもオラトリオを劇場で聴くのは逆にレアか)。それにしても3日前にヘンデル『アグリッピーナ』を観て今日A. スカルラッティのオラトリオ『カイン―最初の殺人』を聴けるとは(1709年と1707年、ヴェネツィアの同じ劇場で初演された両作品)。しかもどちらも素晴らしく高い水準で。

Rinaldo Alessandrini
Rinaldo Alessandrini © Éric Larrayadieu


【歌手】
 アダム:テノール、エヴァ:ソプラノ、カイン:アルト、アベル:ソプラノ、神の声:カウンターテノール、ルシフェルの声:バスで歌われた。歌手陣で特に良かったのはエヴァ役のソプラノのロベルタ・インヴェルニッツィ(Roberta Invernizzi)。まさか初めて聴く機会がA. スカルラッティのオラトリオだとは思はなかったが、やはり上手かった。ひときわ存在感を放っていた。声量、声質、技術的にも充実している様がひしひしと伝わって来る。聴いていて信の置ける歌手と感じさせられる。

Roberta Invernizzi
Roberta Invernizzi © Allegorica


 出番はあまり多くないものの悪魔ルシフェルの声役のサルヴォ・ヴィターレ(Salvo Vitale)は深みと奥行きを感じさせる声を聴かせてくれた。

Salvo Vitale
Salvo Vitale © unbezeichnet


 その隣でアダムを歌っていたテノールのカルロ・アッレマーノは声がこもり気味で、音程、発音も不明瞭だった。力みがあって声が見かけほど出てきていなかった。ルシフェル役のヴィターレが登場して素晴らしい声を響かせてからはアッレマーノの低調ぶりが一気に目立つ格好になり余計に聴いていられなくなてしまった。アベル役のソプラノ、モニカ・ピッチニーニ(Monica Piccinini)も清純無垢なアベルを抑制の効いた慎ましい歌唱で表現していたが、音程に不安定さが多少あった。それと、抑制の効いた歌いぶりだったとはいえ根本的な声量があまり感じられなかった。神の声役はカウンターテノールのアウレリオ・シアヴォーニ(Aurelio Schiavoni)。もう少し風格というか落ち着いた雰囲気があればなお良かった。カインを歌ったコントラルト、ソニア・プリーナ(Sonia Prina)は役の特徴、屈折した部分と劇的な部分を上手く表現しつつ歌っていた。

Sonia Prina
Sonia Prina © Ribaltaluce Studio


 同じくここで演奏会形式で聴いたヘンデル『オルランド』のときもそうだったが、今日も字幕は付かない(そもそも、Oper konzertant=オペラ演奏会形式シリーズの公演だけど、今日のはオラトリオだし、演奏会形式も何ももともとそうでしょって話だが笑)。その代わりにプログラム冊子にイタリア語/ドイツ語対訳歌詞が載っている。これが嬉しい。特にこれほどまでに演奏機会が少なく、また機会だけでなく解説の類もなかなか手に入らないような作品の場合はなおさら。

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今日の公演のプログラム冊子。表紙に書かれている通り今回の公演は2016年のOsterklang Wienに含まれる公演のひとつ(実はこの前のヘンデル『アグリッピーナ』も一応含まれている)。

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こっちは昨年聴いたウィーン交響楽団/フィリップ・ヨルダン指揮『マタイ受難曲』のプログラム冊子


補足―CD紹介、サイト紹介

【CD】
コンチェルト・イタリアーノ/アレッサンドリーニ(93年発売)

Alessandro Scarlatti: Cain ovvero Il primo omicidio / Biondi, Alessandrini

Alessandro Scarlatti: Cain ovvero Il primo omicidio / Biondi, Alessandrini


ベルリン古楽アカデミー/ルネ・ヤーコプス(98年発売)
Scarlatti: Il primo omicidio

Scarlatti: Il primo omicidio

  • アーティスト: Alessandro Scarlatti,Rene Jacobs,Akademie fur alte Musik Berlin,Bernarda Fink,Graciela Oddone,Dorothea Roschmann,Richard Croft,Antonio Abete
  • 出版社/メーカー: Harmonia Mundi
  • 発売日: 1998/10/27
  • メディア: CD
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【アレッサンドロ・スカルラッティについて(他サイトページ)】

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