フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ヤナーチェク『イェヌーファ』 ウィーン国立歌劇場 2016年4月10日

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Jenůfa
Leoš Janáček

Text von Leoš Janáček, nach Gabriela Preissová

Ingo Metzmacher | Dirigent
David Pountney | Inszenierung
Robert Israel | Bühnenbild
Marie-Jeanne Lecca | Kostüme
Mimi Jordan Sherin | Lichtgestaltung
Renato Zanella | Choreographie

Christian Franz | Laca Klemen
Marian Talaba | Stewa Buryjia
Angela Denoke | Die Küsterin Buryja
Dorothea Röschmann | Jenufa
Aura Twarowska | die alte Buryja
Il Hong | Altgesell
Alexandru Moisiuc | Dorfrichter
Donna Ellen | Frau des Dorfrichters
Hyuna Ko | Karolka
Lydia Rathkolb | Schäferin
Ulrike Helzel | Barena
Annika Gerhards | Jana
Maria Gusenleitner | Tante

Premiere: 24. Februar 2002、33回目の上演
全3幕、約3時間(含休憩2回)
17:00-

座席 立ち見1階

ヤナーチェク『イェヌーファ』(1904)

 今シーズンのウィーン国立歌劇場ではレオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček, 1854-1928)のオペラが3つ上演される。今日は3作品目。『マクロプロスの秘事』、『利口な女狐の物語』に続き『イェヌーファ』(元は『彼女の養女』("Její pastorkyňa"))はヤナーチェクが4作目として取り掛かったオペラ。台本はヤナーチェクがガブリエラ・プライソヴァーの戯曲『彼女の養女』(1890年初演)に基づいて作成。初演は1904年1月21日ブルノ劇場。この年の夏にヤナーチェクは50歳を迎えようとしていたが、『イェヌーファ』は彼が完成させた10作のオペラのうち早い方の作品である。『狐』は8作目(1924年初演)、『マクロプロス』は9作目(1926年初演)。どれもヤナーチェクらしさに満ちているが、最晩年の『狐』や『マクロプロス』に比べ、まだ「オペラ」を観るつもりで観て楽しむことができる『イェヌーファ』の方が鑑賞しやすいだろう。その意味で新国立劇場が初のヤナーチェク作品として今シーズン2月、3月に上演したのが『イェヌーファ』だったのは当然と言える。

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唯一残っている『イェヌーファ』の音楽スケッチ(プログラム冊子34頁) © Wiener Staatsoper

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1904年の初演時のビラ(プログラム冊子48頁) © Wiener Staatsoper


 ブルノでの初演の後、プラハでの上演は1916年5月26日に実現、ウィーンでは1918年2月16日にウィーン宮廷歌劇場で初めて上演された。日本初演は1972年12月1日に東京文化会館で、新国立劇場では2016年2月28日に初めて上演された(新国初のヤナーチェク作品。新国立劇場開場18年目のシーズンで初めてのヤナーチェクは遅いか、それとも真っ当なところか)。

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プラハ国民劇場(写真は2015年9月のプラハ日帰り旅行より)。ここで『イェヌーファ』のプラハ初演が1916年5月26日に行われた。


 本公演プロダクションのプレミエは2002年。2009年に再演され、今シーズンの上演に至る。プログラム冊子には1918年のウィーン初演までの経緯について書かれているのだが、そこにはマーラーも登場し、ヤナーチェクとマーラーの手紙のやり取りもあって面白い。以下ではヤナーチェクとマーラーのやり取りからウィーン初演までの経緯について簡単に紹介したい(プログラム冊子掲載の"Die erste Aufführung von Jenůfa an der Wiener Hofoper und ihre Vorgeschichte"(Clemens Höslinger, S. 67-75)を主に参照した)。


ヤナーチェクとマーラーの手紙―実現しなかったマーラーの『イェヌーファ』体験

 『イェヌーファ』はウィーン国立歌劇場では1918年2月16日に初演されているが、ヤナーチェクは初演の1904年内にウィーン宮廷歌劇場総監督に手紙を送り、ウィーンでの上演を目指していた。当時の総監督はマーラーである。プログラム冊子に手紙の内容が掲載されているので紹介したい。

 ヤナーチェクを熱心に推してくれていた人物のひとりオタカル・プラジャーク男爵は1904年12月5日にウィーン宮廷歌劇場総監督のマーラーに手紙を送り、ブルノでの『イェヌーファ』上演に招待しようとした。その手紙と同じ日付でヤナーチェクもマーラーに手紙を書き送った。以下に引用するのがヤナーチェクがマーラーに送った手紙の内容。ドイツ語だ。以下いくつかの引用は原文も併記する(訳はすべて私による)。

Euer Wohlgeboren!
Beiliegende Prager Referate über die erste Aufführung meiner Oper am Brünner böhm. Nationaltheater sprechen deutlicher aus als ich es in Kürze fassen könnte über meine Person.
Ich wollte schon früher mir die Freiheit nehmen und Euer Wohlgeboren zu einer Aufführung der Oper einladen, doch aufrichtig gesagt - getraute ich mich nicht.
Aufgefordert von anderer Seite thue ich es jetzt in der einzigen Absicht Ihr wethes Urteil zu hören.
Ich bitte deshalb Euer Wohlgeboren, falls es Ihnen möglich zur Aufführung der Oper die am Mittwoch den 7. Dezember stattfindet oder eventuell zu einer anderen Wiederholung einen Ausflug nach Brünn zu machen.
Hoffentlich ist eine ähnliche Einladung von Seite des Dr. Baron Ott. Pražák an Euer Wohlgeboren ergangen.
In aller Achtung
Ergebenster
Leoš Janáček
Direktor der Brünner Orgelschule
Brünn, am 5. Dezember 1904

閣下!
同封致しましたブルノ・ボヘミア国立劇場での私のオペラ初演についてのプラハの批評は、私の人物について私が手短に表現するよりもよりはっきりと言い表しています。
私は本当はもっと早くに意を決して閣下をこのオペラの上演にご招待することができればと思っておりましたが、しかしながら正直に申し上げますと、その勇気がありませんでした。
他の方面からの要求で私は今それを致していますがそれは貴重なご意見をお伺いしたいという唯一の意図においてです。
それゆえ私が閣下にお願い申し上げたいことは、もし可能であれば12月7日水曜日のオペラ公演あるいは他の再演に合わせてブルノへ来ていただけないかということです。
オットー・プラジャーク男爵の側からも同様の招待が閣下に届いているかと存じます。
このうえない尊敬をもって
忠実なる
レオシュ・ヤナーチェク
ブルノ・オルガン学校長
ブルノ、1904年12月5日
(プログラム冊子68頁)

 ヤナーチェクが書いたドイツ語を、しかもマーラー宛の手紙で読めるのが面白い。この手紙とプラジャークからの手紙に対しマーラーは翌12月6日付けで口述筆記により返事をしている。まずはヤナーチェクに対する返信をみてみよう。

Euer Hochwohlgeboren, wie ich bereits Herrn Dr. Pražák mitgetheilt habe, ist es mir leider nicht möglich in der nächsten Zeit von hier abzukommen. Da es mich doch gewiß interessieren wird, Ihr Werk kennen zu lernen, so ersuche ich mir gelegentlich einen Clavierauszug mit deutschem Text einzusenden.
Ergebenst
(Paraphe)

閣下、プラジャーク博士にすでに伝えましたように、近いうちにここを離れることは残念ながら叶いません。しかしながらあなたの作品を知りたいという興味は確かにありますので今度ドイツ語テクスト付きのピアノ版を送付してくださいますようお願い申し上げます。
忠実なる
(花押)
(プログラム冊子68頁)

 同じ日付けのマーラーからのプラジャークに対する(口述筆記による)返信。

Zu meinem lebhaften Bedauern ist es mir leider nicht möglich der morgigen in Brünn im böhmischen Theater stattfindenden Erstaufführung der Oper beizuwohnen, da ich hier durch wichtige Dienstgeschäfte zurückgehalten werde. Vielleicht kann mir ein Clavierauszug mit deutschem Texte, da ich der böhmischen Sprache nicht mächtig bin, behufs Einsicht zugeschickt werden.
Mit besonderer Hochachtung
ergebnst
(Paraphe)

非常に残念なことに明日のブルンのボヘミア劇場で行われるオペラの初演に居合わせることができません。重要な職務によってここに引き留められているからです。目を通してみたいと思いますのでピアノ版をドイツ語テクスト入りで、というのは私はボヘミア語に堪能ではありませんので、私のところに送ってくださいますか。
格別の敬意をもって
忠実なる
(花押)
(プログラム冊子70頁)

 結局マーラーが『イェヌーファ』を観ることはなく、ピアノ版の楽譜もまだ存在していなかったため送られることはなかった。ウィーンの歌劇場とのコンタクトはひとまずこれで途切れてしまう。マーラーは1907年にウィーン宮廷歌劇場総監督の座を辞任、アメリカ滞在を経て1911年に亡くなる。


『イェヌーファ』ウィーン初演、1918年2月16日

 1917年、後にウィーンでの『イェヌーファ』初演を指揮することになるウィーン宮廷歌劇場楽長のフーゴー・ライヒェンベルガーは、マーラー、ワインガルトナーに続き1911年から総監督の座にあったハンス・グレゴールによってプラハへ派遣された。『イェヌーファ』の上演を実際に観て、ヤナーチェクという未知の作曲家について評価を下すためであった。ライヒェンベルガーは『イェヌーファ』鑑賞後に以下のように報告している(1917年3月6日)。

Její pastorkyňa=『彼女の養女』は[...]テクスト的にも音楽的にもそして上演という観点からもひとつの芸術的体験であった。いくらか悲惨な筋書きではあるが、第3幕では薄らぎつつ、きわめて感動的であり、音楽は最高ランクの天与の才のなせる業である。[...]ほんのわずかな素材でもって、個々の場面の色調が、常にある決まった、その場面全体を通して保たれるリズムに合わせ(ライトモティーフの代わりに)管弦楽的下地の中で築かれていき(チェコのドビュッシーだ!)、話される言葉と抑揚を音楽がとても密に追っていくので、それらは一つのものとして現れてくる。それでいて輝かしいメロディーを持ち、独特で魅力がある。
(プログラム冊子、71頁)

 この「調査」の結果、翌年にウィーン宮廷歌劇場で『イェヌーファ』を上演することになり、ウィーンでの『イェヌーファ』の最初の上演が1918年2月16日にライヒェンベルガーの指揮で行われた。ほとんどすべての新聞がその大きな並はずれた成功について報じたという。ヤナーチェクは上演後、拍手喝采のなか20回も姿を見せなければならなかった。ヤナーチェク夫人ズデンカは後にウィーン公演の体験について書いている。

『イェヌーファ』がプラハでどのように受け取られるだろうかと危惧していましたが、ここウィーンでまさに『イェヌーファ』についての心配で震えていました。宮廷、オーストリアの貴族、優雅な観客、洗練された音楽知識人。これらすべてに目がくらみ、不安にさせられました。最初の小節が鳴り響きました、あぁ、なんという響き!オーケストラにも100もの音楽家が座っていました。幕が開き、引き伸ばされた「アァ」という声だけが聴こえてきました、それはとても美しかった...。[マリア・]イェリツァは輝いていました。彼女の輝かしい声、演技、ブロンドの髪の美しさ。私が今まで観て聴いたなかで最高のイェヌーファでした。大きな拍手。すでに第2幕の後でレオシュは何回か呼び出され礼をしなければなりませんでした。(プログラム冊子、74-75頁)

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1918年2月16日のウィーン宮廷歌劇場での初演時のビラ(プログラム冊子66頁) © Wiener Staatsoper
"Zum ersten Male:/ Jenufa/ Oper aus dem Mährischen Bauerleben in drei Akten von Gabriele Preiß/ Deutsche Übersetzung von Max Brod - Für die Wiener Hofoper textlich eingerichtet von Hugo Reichenberger/ Musik von Leoš Janáček"


 1916年のプラハでの上演に続きウィーンでも大成功を収めた『イェヌーファ』。その後このオペラの再演が決まったとき、ヤナーチェクはライヒェンベルガーに手紙を送っている(1918年10月10日)。

Hochgeehrter Herr Hofkapellmeister!
Ich dachte nicht mehr Jenůfa in der Hofoper zu hören. Die Weltverhältnisse ändern sich ja von Grund aus! Doch - zu Folge einer Wiener Nachricht - eine Freude bleibt mir: mein Werk wieder in Ihrer entzückenden Aufführung zu hören. Der Freude gebe ich so gerne den Ausdruck.

宮廷楽長様!
『イェヌーファ』を宮廷歌劇場で聴くことはもうないと思っておりました。世界の情勢はたしかにすっかりと変わってしまうものです!しかし(ウィーンのある知らせのおかげで)喜びが消えません。私の作品が貴方の素晴らしい上演によって再び聴くことができるのですから。私はこの喜びを本当に心から表現致します。
(プログラム冊子61頁)

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実際の手紙(ヤナーチェクから当時のウィーン宮廷歌劇場楽長フーゴー・ライヒェンベルガーへ、1918年10月10日)(プログラム冊子58頁) © Wiener Staatsoper


今日の上演についての感想

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第1幕 © Wiener Staatsoper

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Angela Denoke 2002年のプレミエでイェヌーファを歌うアンゲラ・デノケ © Wiener Staatsoper

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第3幕 © Wiener Staatsoper

 舞台も示しているようにやはりこのオペラは、ヤナーチェクの管弦楽法の多彩さはありながらも、白黒のイメージを呼び起こすのだろう。新国の(もともとドイチェ・オーパーの)演出でも白が基調のシンプルな舞台だったようである。

 今日の歌手陣は女声と男声で出来がきれいに分かれた。素晴らしかったのは女声陣。イェヌーファを歌うのはドロテア・レシュマン。ベルリンで聴いて以来、ずいぶん久しぶりに聴く。イェヌーファを上手く表現していた良い歌唱だったと思う。プレミエでイェヌーファを歌ったアンゲラ・デノケはコステルニチカを歌う。この役を彼女のようなしっかりした歌手が歌うと全体が引き締まる。ヤーナ役にはアニカ・ゲルハルツ。劇場の専属歌手で注目のソプラノ(例えてみればベルリンのウンター・デン・リンデン劇場のアンナ・プロハスカ的な位置づけにあると言えるか)。そんな中、出番は少ないがカロルカ役で登場したコ・ヒョナだけは聴いてるこっちが焦るような出来だった。どこもかしこも安定しない(一か所間違えて数小節早く出かけた?)。歌詞を覚えていないのかと思ってしまう程だった。あまりに酷いので観客の反応も戸惑い気味で「...」だった。無かったことにしてさき行こ、って感じ。後から確認したところキャロライン・ウェンボーンの代役だったようだ。とにかく、レシュマンとデノケの2人のおかげで上演の質が一気に高まっていた。この2人の場面は非常に緊張感のある歌唱を聴くことができた。

 男声陣はぱっとしない。優れた女声陣との差はどうにも埋まりようがない程だった。特にラツァを歌った歌手は声は出ているが音程がひどくて聴いていられなかった。レシュマンとデノケの場面は良いが、ラツァが登場するとがたっと質が落ちてしまった...。

 合唱に統率感がないのはいつものこと。

 オケを振るのはインゴ・メッツマッハー。ベルリンにいた時に、当時音楽監督だったDSO(ベルリン・ドイツ交響楽団)の演奏会で聴いて以来(レシュマンと言い今日はベルリンの思い出を思い起こさせる陣容)。上手くオケを率いヤナーチェクの音楽を高い水準で聴かせてくれたと思う。

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休憩中。7列目あたりから最初の休憩後に空いた3列目に移動


 これで今シーズンのウィーン国立歌劇場でヤナーチェクのオペラを3作品観ることができた。ヤナーチェクに少し近づかせてもらった。

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*引用の訳はすべて私による。

**今シーズンの他のヤナーチェク

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