フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

2015-07-19から1日間の記事一覧

アーノンクール『音の話法としての音楽―新しい音楽理解への道』(4)「私たち」の読みかえの試み―「私たち日本人の生活における西洋音楽」

そうして日本のクラシック音楽ファンの誰もが、西洋音楽の価値と演奏について判断し意見を述べることは正当でみずからにその資格があると感じてしまっているのです。 *以下の文章はアーノンクールが書いたものではありません。アーノンクール『音の話法とし…

アーノンクール『音の話法としての音楽―新しい音楽理解への道』(3)「私たちの生活における音楽」解題―「私たち」と私たち

そのような単に「美しい」だけの音楽など、かつて一度も存在したことはありませんでした。 そうして誰もが、音楽の価値と演奏について判断し意見を述べることは正当でみずからにその資格があると感じてしまっているのです。 私がきわめて深く確信しているこ…

アーノンクール『音の話法としての音楽―新しい音楽理解への道』(2)「私たちの生活における音楽」読解(抜粋)

そのような単に「美しい」だけの音楽など、かつて一度も存在したことはありませんでした。 そうして誰もが、音楽の価値と演奏について判断し意見を述べることは正当でみずからにその資格があると感じてしまっているのです。 「私たちの生活における音楽」 中…

アーノンクール『音の話法としての音楽―新しい音楽理解への道』(1)読解への導入

そのような単に「美しい」だけの音楽など、かつて一度も存在したことはありませんでした。 そうして誰もが、音楽の価値と演奏について判断し意見を述べることは正当でみずからにその資格があると感じてしまっているのです。 最初の版が刊行されたのは1982年…

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