フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

アーノンクール追悼 コンツェントゥス・ムジクス/シュテファン・ゴットフリート 楽友協会 2016年4月17日

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© Dieter Nagl

Concentus Musicus Wien
Stefan Gottfried
, Dirigent
Julia Kleiter, Sopran
Bernarda Fink, Alt
Michael Schade, Tenor
Gerald Finley, Bass

Wolfgang Amadeus Mozart
Symphonie g-Moll, KV 550
-------- Pause ----------
Requiem d-Moll, KV 626
Ergänzung von Franz Xaver Süßmayr, revidiert von Franz Beyer

7,6,5,3,2

座席 9. Parrtere-Loge 2 2

【記事の内容】

Nikolaus Harnoncourt ist von uns gegangen. Aber mit diesem Konzert wird er wieder lebendig in unseren Gefühlen und in unseren Herzen.

Und er wird noch oft durch seine Musik lebendig werden und lebendig bleiben. Bei der Verleihung des Ehrenzeichnens für Wissenschaft und Kunst an Nikolaus Harnoncourt vor sieben Jahren habe ich vom "Phänomen Harnoncourt" gesprochen.

Die Tatsache, dass dieses Phänomen unsterblich ist, hilft uns, den Schmerz des Abschiedes in gute und dankbare Erinnerung zu verwandeln.
Der Bundespräsident Dr. Heinz Fischer


今日の演奏会に至るまで

ベートーヴェンの第8番・7番からモーツァルトの第40番・レクイエムへ

 この演奏会は変更に次ぐ変更でこの形になった。もとは昨年10月11日にアーノンクール指揮によるベートーヴェン交響曲第8番、7番のはずだった。そう、コンツェントゥス・ムジクスとのベートーヴェン交響曲全曲録音演奏会の第2弾のはずだった。だが10月初週にメールと手紙が届き体調不良のため4月に延期しますとのことだった


 結局12月5日、次の(=今シーズン最初の)定期演奏会当日に引退発表。彼の指揮で聴く機会がなくなった。すると1月に楽友協会から知らせが届き、4月の(今日の)演奏会ではシュテファン・ゴットフリートが指揮を引き継ぎ、ベートーヴェンの第7番、8番の代わりにバッハとテレマンの管弦楽曲を演奏(交響曲第9番は別の指揮者により演奏)しますとのことだった。2月にあった定期演奏会のモーツァルトプログラムは予定通り演奏された。なるほど、まあしかたない。そう思っていたところ、引退発表からちょうど3か月後の3月5日にアーノンクールが亡くなってしまった。すると10日後の3月15日付けでまた知らせが届いた。プログラムをモーツァルトの交響曲第40番ト短調とレクイエムに変更すると。

2015年5月9日と10日の[ベートーヴェンの第4番・5番を演奏した演奏会の]聴衆の誰も、それがアーノンクールがこの楽友協会大ホールで指揮することができた最後の演奏会になろうとは、そして彼の人生で最後から2つ目の演奏会になろうとは思いもしなかった。ベートーヴェンの第5番はプログラム最後の曲で、彼はこの曲でウィーンの聴衆に別れを告げた。彼が長い研究で築きあげてきた、人を魅了する解釈で。(Otto Biba、プログラム冊子解説("Der Feuerbringer")より、訳は引用者(=私)による)


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指揮を引き継いだStefan Gottfried © Wolf-Dieter Grabner


昨日のアーノンクール追悼式

 昨日の午前11時から追悼式("In memoriam Nikolaus Harnoncourt")が楽友協会で行われた。今月4日から入場券が楽友協会窓口で配られていた。私は行かなかったがラジオでの生中継があったので自宅で聴いていた。楽友協会芸術監督トーマス・アンギャン、ウィーン・フィル代表アンドレアス・グロースバウアー、ウィーン大司教クリストフ・シェーンボルン、息子フランツ・アーノンクールが登壇し、合間にそれぞれウィーン・フィル、コンツェントゥス・ムジクス、アーノルト・シェーンベルク合唱団、による演奏が行われた。冒頭のアンギャンはこの日は演奏の後に一切拍手をしないようお願い。彼の弔辞の後にウィーン・フィルによって演奏されたモーツァルト「フリーメイソンの葬送音楽」を聴いていたら悲しくなった。この曲を聴くのははいつ以来だろうか。10年ぶりくらいかもしれない。久しぶりに聴いた機会がこのようなこの上なく「ふさわしい」状況においてだとは...。その後ブルックナーのモテット3曲、モーツァルト交響曲第40番から第2楽章、レクイエムよりラクリモサ、アヴェ・ヴェルム・コルプス。その晩に今回の公演の1回目の演奏会があり、今日は2日目にあたる。


演奏会へ―チケットの日付けが物語るむなしさ


2015年10月11日日曜日と印字されている「今日の」チケット。

 チケットは延期になった元の演奏会のもの。それを階段のところで係員に見せて入るのだがこのチケットを見るとなんともむなしい気持ちになる。この日付けが物語る、今日までの出来事。ベートーヴェン交響曲第8番・7番への期待から体調不良による延期、引退発表、指揮者・プログラム変更、そして死...。ベートーヴェンの第8番・7番というのプログラムは40番とレクイエムというまさに追悼演奏会のそれに。ベートーヴェン第7番終楽章の狂喜乱舞からレクイエム(鎮魂歌)へ。この日付に目をやるとそういったことが頭に浮かぶ。


演奏―アーノンクールの精神によるアーノンクールのための演奏

交響曲第40番ト短調

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開演前。団員が揃い、指揮者が登場すると大きな拍手が送られた。

 交響曲第40番ト短調。このオーケストラの信念を感じさせる演奏だった。

 第1楽章冒頭の入りはけっこう合っていなかったり(繰り返しで戻ってきた時はさすがに合わせた)、アンサンブルが多少ずれたり管楽器の音が外れたりと、あらを探そうと思えば見つけやすいような演奏ではあったが、この曲の悲哀をきれいごとにせず、抉り出すように音にしていく。ゴットフリートの力強い指揮のもと音のテンションが高い。提示部の終わり弦のスラーの強調。展開部の荒れ狂うような弦の疾走にホルンの叫び。(2月の演奏会でも思ったが、気のせいではなくやはり音楽の流れが気持ち自然になったと思う)

 じっくりとしたテンポの第2楽章でコンツェントゥス・ムジクスの良さをより感じることができた。楽器それぞれの音色と、それらが重なり合ってにじみ出て来る陰影に富んだ色合い。その濃淡が味わい深い。これは昨年ベートーヴェンの第4番の序奏を聴いた時にも強く感じたことだった。普段聴いている演奏は相当のっぺりしたものだと。なぜこの調性なのか、なぜそれがこの/これらの楽器で演奏されるのか、それが現代の優れた(優れ過ぎた)楽器ではわかりにくくなっている、とはアーノンクールが2015年5月10日演奏会冒頭「演説」で聴衆に語ったテーマのひとつ。こうしたことは第1楽章でも感じなくはないが、緩徐楽章でのほうがオケが織りなす響きの色みをじっくり味わうことができる。その響きは音量で言えば第1楽章での強奏よりも小さいはずだが、音程、音色ともにぴたっとつぼにはまっていてむしろより大きくすら聴こえる。独特の(アーノンクールに言わせれば「本来の」)響きがホール全体に広がっていき、その色合いが空間ににじむよう。

 第3楽章は第2楽章のあのテンポを受けて聴くと少し唐突な印象を受けるほどに速いテンポ。その激しさの中にぽっかりと空いたようなトリオ。ここは先の第2楽章と同様のことが言える。第4楽章。情け容赦ないめまぐるしさ。第2主題の束の間の安らぎ。展開部に入るところ、ゴットフリートはアーノンクールと同様に恣意的にすら感じるほど間をあける、決然たる休止。展開部・再現部繰り返し。悲愴な響きで力強く終わる。

 後半のレクイエムは40番以上にまさに彼のために演奏された。

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休憩中

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休憩中。楽友協会とカールス教会。ブルックナーの葬儀が行われたことでも知られている。その少し先にはブラームスが住んだ建物もある。


アーノンクールに捧ぐレクイエム―演奏後に拍手無し

 後半については正直、書く気にならない。もはや「演奏会」ではないと思うので演奏がどうだったと書く気があまり起こらない。

 ソリストの中ではユリア・クライターの澄んだ声が美しく第1曲から聴き入る。ミヒャエル・シャーデが歌い始める時オペラでも歌っているかのようだったのは残念だった。合唱はアーノンルト・シェーンベルク合唱団。ラクリモサが終わると、ゴットフリートはなかなか次の曲に入ろうとしない。異常に長い沈黙。終曲、クライターが再び美しい声を聴かせる。いつまでも聴いていたい美しい歌声だ。ゴットフリートは最後の音を意図的に減衰させて(ティンパニの一撃も非常に弱く)この曲を閉じた。

 ゴットフリートは音が鳴り止んだ後もじっと動かない。なかなか手を下さない。「演奏会」でこれほど長いことはまずない。聴衆も沈黙を保っている。長い、長い沈黙。ゴットフリートはゆっくり手を下ろすとそのまま舞台から去って行った。ソリストたちも。続いてオケ、合唱の団員達も舞台から去って行った。拍手が出ることはなかった。

(今日の演奏会は記事の前半に書いた通りもとはと言えば普通の定期演奏会である。それが延期になり、最終的に今日のプログラムに変更になった。だから前半に団員と指揮者が登場した時には盛大な拍手が送られた。このような「追悼演奏会」を行う団員・指揮者への後押しの拍手だったろう。主旨からして追悼演奏会以外の何物でもないが、形の上では追悼の意が込められた定期演奏会。起立して黙とうが行われたわけでも拍手無しのアナウンスがあったわけでもなかった)

 途中聴衆の間には少し顔を見合わすような戸惑いが見られたが演奏者たちの言わんとするところを理解した、レクイエムの後だけは拍手をせず静けさの中で終えると。一人も一度も手を叩くことなく演奏会は終了した。アーノンクールの精神によるまさにアーノンクールのための演奏。終演後の不思議な雰囲気。私はそのまま席に座り、少しのあいだ残っていた。なんとなくその場を離れたくなかった。係員たちがホールの扉を閉め始めたのを見てさすがに帰り始めた。

 帰り際に係員が"Nikolaus Harnoncourt im Musikverein"という冊子を配っていて1冊もらった。彼が楽友協会で開いた演奏会の記録がすべて載っている*1。この冊子とプログラム冊子を眺めながら帰宅した。
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*1 ちなみに最初の公演は1962年6月8日、弦楽器バリトン(ヴィオラ・ダ・ボルドーネ)奏者として妻のアリスおよび他の奏者含め計6人でモーツァルト、シューベルト、シューマンの歌曲を演奏している(コンツェンントゥス・ムジクスの、そして指揮者アーノンクールの最初の公演は1968年5月8日)。最後の演奏会は2015年5月10日ベートーヴェン交響曲第4番・5番。


(補足)【アーノンクール、楽友協会での最後の5つの演奏会】ほか参考記事

 私がアーノンクール指揮の演奏会を聴きに行ったのはウィーンに来てからだった。ウィーンに来るのがもし1年遅かったら、私はアーノンクールが指揮する演奏会に行くことができなかった。つまり私が聴いたのは彼が指揮することのできた最後のシーズンだった。楽友協会での最後の5つの演奏会だった(コンツェントゥス・ムジクス4回、ウィーン・フィル1回)。最晩年の彼の指揮に触れたわけだが、それもウィーンで、アーノンクールのことをずっと身近に感じてきたウィーンの聴衆たちと(いるとその雰囲気はよくわかる。アーノンクールの本拠地はここだと)共に聴くことができた。そして追悼演奏会にも居合わせることになった。

モーツァルト:ハフナー・セレナーデ&交響曲第36番「リンツ」

シューベルト:『ロザムンデ』&未完成交響曲(ウィーン・フィル)

ハイドン:『天地創造』

ヘンデル:『サウル』

ベートーヴェン:交響曲第4番&第5番(楽友協会での最後の演奏会)
2日目なので文字通り楽友協会最後の演奏会。アーノンクール最後の録音となった。

アーノンクール最後の録音

ベートーヴェン:交響曲第4番&第5番「運命」

ベートーヴェン:交響曲第4番&第5番「運命」


そのほか
引退発表翌日の演奏会

ゴットフリートが引き継いだ最初の演奏会

3月6日に駆け巡った訃報

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