フィルハルモニ記

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コンツェントゥス・ムジクス/アーノンクール ベートーヴェン交響曲第4番&第5番 ウィーン楽友協会 2015年5月10日

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Concentus Musicus Wien

Nikolaus Harnoncourt

Ludwig van Beethoven

Symphonie Nr. 4 B-Dur, op. 60

Symphonie Nr. 5 c-Moll, op. 67 

 

ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

アーノンクール

ベートーヴェン

交響曲第4番 変ロ長調

交響曲第5番 ハ短調

ウィーン楽友協会

8, 8, 6, 3, 2(Vn1, 後ろにCb, Vc,Va, Vn2)

座席 1階 9. Loge 3列1番

 

 コンツェントゥス・ムジクス/アーノンクールによる演奏会はこれで今シーズンの4つ全部になる。モーツァルト:ハフナー・セレナーデ&第36番、ハイドン:『天地創造』、ヘンデル:『サウル』、そして今日のベートーヴェン:第4番&第5番。

 

 アーノンクールが登場し拍手が鳴りやむと、お決まりの「演説」が始まった。今日は特に気合が入っていて、冒頭で約10分、休憩後の後半開始にも10分近くも話した。演奏の方もさすがに一味違った。

 

 第4番。第1楽章の序奏から一音一音緻密に積み上げられていく。全楽章を通してそれぞれの楽器が織りなす響きが本当に味わい深い。今日の演奏会では、出来としてはこの第4番が特に素晴らしく、第1楽章が終わった時点でその辺の演奏会約2時間分の充実感がすでにあった。

 第5番は、第1楽章ではオケ全体が少しずれる場面があり不安定さが目立ってしまっていたが、第2楽章以降は再び地に足がつき深みのある響きを聴かせてくれた。ベートーヴェンが第4楽章に投入したピッコロ、トロンボーン、コントラファゴットは第2楽章と第3楽章の間に舞台に現れて、オケ全体の一番後ろに5人が一列に並ぶ。コントラファゴット以外のピッコロ、トロンボーンの4人は立奏である。この5人は演奏でも、この小規模のオケでそこまで鳴らすか、というくらい目立っていた。

 

 今日の演奏会では、出来が良かった第4番に限らず、演説で触れられた調性による音・響きの色彩感・陰影を今まで聴いたことがないというほどに感じさせてくれた。ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでも、いくら上手くとも、普段聴いているベートーヴェンは相当に「のっぺりした」響きなのだと、ウィーン楽友協会ホールの美しい音響も手伝って、強い実感を伴いつつ認識させられた。先に触れた第4番の第1楽章が終わった時点での充実感は主にここから来ていた。

 

 アーノンクールは前半の演説で(当時のあるC-Durの曲は)「なぜA-DurでなくC-Durで書かれたのか」、(色々な調で作曲されるが)「なぜすべてC-Durで書いてしまわないのか」と半ば冗談で聴衆に問うた。現代の楽器はすべての音が均質化してどの調性でも同じように響く。当時の楽器にはもっと演奏上の制約があった。それぞれの音はその制約の上に成る/鳴る。そして、演奏者は楽器の構造上の制約の中で音を出そうとする。目的に到達しようとする動きがあった。構造的制約と、制約の中から導き出された演奏法(技術的制約)、そしてそこから出てくる音。これらすべてを含めてその楽器の特性と呼べるが、当時と今とでは状況がかなり変わっている。ベートーヴェンは例えば第3番をEs-Durで書き、第5番をc-Mollで書いた。彼の頭の中にあったのは当然当時の楽器の響きであったわけだが、現代の楽器はすべての音を均質に出せるようになり調性の違いが感じられなくなった。冒頭演説の要約だ。

 

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(休憩中)

 

 アーノンクールの演説には、こうした調性とその背景にある楽器とその楽器に付随する制約からくる演奏法・音の話の他に、自筆譜や校訂に関する話があった。

 アーノンクールは緻密な資料研究をもとに指揮に臨む。ほとんど学者のような指揮者だ。アーノンクールとコンツェントゥス・ムジクスによる演奏会は、演奏会というより研究報告会のような趣さえある。「緻密な資料研究をする指揮者」と「その成果を興味津々に待ちわびる団員」。両者がベートーヴェンの交響曲を2つ並べて演奏することを踏まえ、プログラムの解説も、冒頭で「いつもと違った」ものになる必要性について触れて次のように続ける。

   ベートーヴェンの交響曲はいつ「完成」した状態であったのか、いつ出来上がったのか、いつ(それが専門用語で言うように)「最終稿」に至ったのか。ベートーヴェンはまず一度総譜を完成させる、[つまり]作品の記録を完成させる。その後最初の記録の清書を作らせて場合によってはこれも修正する。書き間違いの修正もあれば改善の場合もある。この修正された原型に基づいてパート譜が書かれる(あるいはこの間の手間を省いて自らの手になる記録に直接基づいて書かれることもある)。このパート譜にベートーヴェンは再び目を通して修正した、あるいは書き直した。それから初演、あるいは最初期の演奏会に至る。ベートーヴェンは、自身の聴覚が許す限り、練習や演奏会で得た経験と彼がもともと抱いていた交響曲の実現についてのイメージを比較し、あるいは新しい経験値を発見しそして各声部にそれに応じた変更を施す。私たちはこれらの「初演時の資料」を私たちのアーカイヴ、楽友協会資料館に幅広く所有していることを誇りに思っている。それらの資料に目を通せば、そのような変更はベートーヴェンの聴力の減退とともにどんどん少なくなっていくことに気づく。第9交響曲ではそういった変更は全くなく、あるのはただ書き間違いの修正ばかりである。

 それから次の段階でパート譜が印刷に回された。この過程でも再び楽譜に変更があった。事実、印刷された声部が届けられた後でさえベートーヴェンはときおりさらなる変更希望を知らせ、その変更のために段が修正されなければならないこともあった。最後に交響曲の総譜が、たいていはパート譜よりもかなり後になってから、印刷された。こうしたことがベートーヴェンの指示を経由したり彼の目の前で起きたりした時は(たとえいつもそうでなくとも基本的にその場合には)、それはこの作曲家にとってさらにあれやこれやの変更を施す再度の機会であった。

(プログラム解説文(Otto Biba)。ドイツ語原文からの翻訳は引用者(=私)による)

 

 先週の演奏会はベルリン・フィル/ラトルによるブルックナーの交響曲第7番で、コールス版(2015)という最新版が使用されたが、今日の演奏会は(いや彼の演奏会はいつも)言ってみれば「アーノンクール最新校訂版」による演奏であり、毎回がその世界初演とも言える。

 コンツェントゥス・ムジクス/アーノンクールがベートーヴェンの交響曲第4番と第5番を並べた演奏会。聴く者をベート-ヴェンに近づかせてくれる演奏会だった。この水準でベートーヴェンに向き合わせてくれる演奏会は世界を見渡しても他に無いと言っていいだろう。

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