フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ヴィクトリア・ムローヴァ バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ (2009)のCDについている本人による解説の日本語訳

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 このソナタとパルティータの録音は、私にとってとても多くを意味する一つの願いを満たすでしょう。私は今までずっとバッハの音楽ととても密接な関係を持っていて、すでに少女の頃から、バッハの音楽は私の人生で重要な位置を占めることになるだろうと感じていました。その音楽の世界を理解しようとする取り組みと試みはもちろん簡単ではなく、時には落胆することもありました。これらの作品に携わりかなり定期的に演奏していた長い間、私が感じたものを楽器で表現するということを許すような基準や道を発見するには至りませんでした。モスクワの音楽院で勉強していた時、私の先生は、それに従ってバッハは演奏されるべきであるという厳しい規則を私に教えました。その規則は当時一般に通用していたある判断に基づいていました。それによれば均整のとれたより美しい響きが得られるというもので、間延びした同じ形のアーティキュレーション、とても長いフレーズ、各音での規則通りのヴィブラートなどです。まるでオルガンの真似をしているかのようです。これらの規則が今日ではおそらく馬鹿らしく映るであろうことはわかっていますが、それは当時私を取り囲んでいた美学だったのです。そこでは私のソナタとパルティータは固く単調に響いていたし、それらを演奏するのははるかに難しかったのです。というのは私にはバロック文献に対する理解への基礎が欠けていたからです。私はとても少ないアーティキュレーションで、そしてとても自然な形でボーイングを規定する強い・弱いテンポの間の関係なしに演奏していました。しかし何よりも和声的な関係を理解していませんでした。それは音楽的な対話に入って行き、自らを自由に感じることのためにとても重要なものです。私はこれらの問題全てを莫大な労力を費やして克服しようと試みました。しかし全てがとても困難にそして精神的にほとんど耐えがたいように見えました。

 その後母国を去った時、私は常にあちこち移動していてとても多くの演奏会をこなしていました。繰り返し同じ作品を果てしなく。たくさんの時間を一人でそして旅路で過ごしていて、新しいレパートリーを勉強して増やしたり、私がそれまですでに知っていたものあるいは知っていると思っていたものを深めるための時間はほとんどありませんでした。

 パリでのリハーサルの時にファゴット奏者で通奏低音奏者のマルコ・ポスティンゲルと出会うという大きな思いがけない幸運を得ました。彼はまず始めに私がバロック音楽について持っていた数少ない確信を崩壊させ、貴重な友情でもって骨の折れる、しかしとても素晴らしい道程、結果的にこの録音へとつながって行くこの道程に付き添ってくれました。私は覚えています、彼がすぐ最初の晩に、ほんの数時間の間に古楽について私がそれまで聞いたり思い描いていたこと全てを超える多くのことを語ってくれたことを。その時まで誰も音楽的な対話を規定する多様な関係をそれ程にも本質的に説明してはくれませんでした。それは特にバッハにおいては、和声の力、アーティキュレーション、多声音楽、対位法、形式などです。彼はそれらすべてを私が逃れることができなかったほど夢中になって説明してくれました。私は理解しました、私の芸術家としての準備は私の演奏家としてのレベルに追い付いていないこと、このテーマに集中的に取り組みこの相当な穴を埋めるためによく考える時間が必要であるということを。私はすぐに当時予定していたバッハのチェンバロとのソナタの録音をキャンセルして古楽と関係のあること全てを猛烈に勉強し始めました。ビーバー、ルクレール、タルティーニ、コレッリ、ヴィヴァルディその他たくさんの作曲家の楽譜をじっくり読みました。それらはバッハの音楽をより良く理解するための助けになると思っていたからです。

 私は数え切れないほどの演奏会や録音を聴きました、アーノンクール、ガーディナー、ジョヴァンニ・アントニーニの指揮する素晴らしいアンサンブル「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」、私の知っているバッハの音楽の最も優れた解釈者のうちの一人であるオッターヴィオ・ダントーネなどです。私は魅了され感激しました。耳にそして心にあるこのインスピレーションと共に、いつも友人マルコと協力して、もう一度バロックのレパートリーに取り組み、それを完全に新しい、そしてついに体系的な方法で学びました。

 始めはまだモダン楽器を使用していました、しかしその後18世紀の音楽感性をますます良く理解していったときに、ガット弦とバロック弓を使う必要性がきわめて自然に生じてきました。私がとても感嘆していた、そして私のこの探求に際して知らず知らずとても助けてくれた音楽家たちから徐々により頻繁に招待を受けるようになりました。彼らとなにかしらの舞台に立つこと、それは私にとってなんと大きな喜びだったか。彼らが寄せてくれた信頼は、バロックのレパートリーをより集中的に研究しそしてそれを私の芸術人生の中心に据えるきっかけをもたらしました。それほどすごかったので、バッハの音楽を演奏することは私の精神的な恵みになり、心の平安となりました(およそ瞑想にも似た一つの体験です)。

 今でもたまに自分の昔のバッハの録音を聴くときは、自分に起きたものすごい変化に未だに驚いています。私はそこにヴァイオリン奏者は聴くことはできますが、それは音楽家ではありません。私にはっきりしていることは、バッハの天才的な音楽の演奏・研究には探求の道のりに決して終りは見つからないだろうということ、そしてこの録音ですらいつの日か私を驚かせ私から遠く離れて感じられるかもしれないということです。

 それでも私はこの録音が証言してくれると願っています、私がどれほどの熱意と畏敬の念とそして大きな愛情でもってこの不滅の音楽に近づこうと試みたかを。

2009年 ヴィクトリア・ムローヴァ

*翻訳はムローヴァ本人が記述した英語の文章から、その翻訳として記載されているドイツ語の文章を参考にしつつ行った(その他フランス語・イタリア語訳も記載されている)。

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ヴィクトリア・ムローヴァ

Bach: 6 Solo Sonatas & Partitas

CD(2CDs), Import

Onyx, 2009/5

―バッハのヴァイオリン無伴奏演奏史における最高到達地点―


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