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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

マタイ受難曲 ラトル指揮 ベルリン・フィル 2010年4月10日 ベルリン・フィルハーモニー

2010年4月10日(土)Matthäus-Passion BWV 244

Berliner Philharmoniker

Sir Simon Rattle

Camilla Tilling

Magdalena Kozena

Topi Lehtipuu Tenor (Arien)

Mark Padmore Tenor (Evangelist)

Thomas Quasthoff Bassbariton (Arien)

Christian Gerhaher Bariton (Jesus)

Rundfunkchor Berlin

Simon Halsey Einstudierung

Knaben des Staats- und Domchors Berlin

Kai-Uwe Jirka Einstudierung

Peter Sellars Ritualisierung

5,4,3,2,1. 5,4,3,2,1

 今日の席はCブロック左8列11番。まずホールに入って舞台上の配置が変なことに気付く。特に指揮台はそこかい、という。マイアーがオケで始めに出てきた。

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(Cブロック左8列11番から)

 この舞台を見た時点で普通の演奏ではないだろうと誰もが思う。ピーター・セラーズによるRitualisierungによって良い意味で期待を裏切られた。Ritualisierungとは直訳すれば「儀式化」という意味。それによってラトルとベルリン・フィル、合唱団、歌手たちはこの『マタイ受難曲』を単に「演奏」するだけでなく、それを儀式化する、わかりやすく言えば少し演出を加えることで「上演」した。

 冒頭は二つの合唱が真ん中に集まっている状態で始まる。少年合唱は写真の左上の入り口から曲中に続々やって来て、客席の合間の通路で歌う。ホール全体に響き渡り素晴らしい音響効果。すぐそばの人は少しかわいそうだけど。オケに関しては事前に少し不安があったというか完全に期待しきれない部分があった。ベルリン・フィル&ラトルでマタイ受難曲?んーという感じで。だが無用な心配だった。とても素晴らしかった。この組み合わせで今までで一番良かったかもしれない、一番期待が低かったにもかかわらず。これだけ上手いのだから悪いはずもないよなと途中で思っていた。合唱も含めての全体の響きが素晴らしかった。編成が大きいから余裕で響いているし。合唱も合唱でとても素晴らしかった。あまりに素晴らしくて1曲目から目に涙が。この最初の合唱曲の最後の音が鳴り響くと、もうこれで終りでもいいくらいの感動だった。本当に1曲目でそのくらい感動した。

 このマタイは独唱者・合唱・オーケストラ全て含めた劇だった。その儀式化(演出)も革新的。動きがある。演奏にも動きがある、動的だった。すべて劇的に進んでいく。ラトルも第二オケを振る時は右側に歩いていく。ソプラノ二人は裸足。エヴァンゲリストはEブロック3列目13番にいる。ピラトはそのちょうど正反対側の席にいる。コジェナーは格が違うことを実際にみせてくれた。このクラスはやはりまず声量がある。エヴァンゲリストは途中極端に間をとりつつ進めた。

第6番。アリア。エヴァンゲリストは舞台上ではイエスと見立てられている。コジェナーはイエスにいたわるように嘆きながら触れる。パユと第二奏者が立ち上がり右側に移動し立奏。

12番。ソプラノが舞台右奥の扉から出てくる。

13番。ソプラノ、アリア。マイアーと第二奏者。立奏。

20番。マイアーがソロの時舞台中央の一番後ろに歩いていきテノールと並び演奏。終り間際にはうなだれ崩れるテノールに手を貸す。

29番。前半の最後の合唱。突然合唱があちこちに走り、少年合唱も出てきてみんな客席の至るところへ散在。その音響効果は筆舌に尽くしがたいものがあった。

42番。バス、アリア。ダイシン・カシモトがソロでバスと舞台中央やや右で向き合って演奏。

49番。パユが舞台前方まで出てきてソプラノの真後ろで演奏。

51番。コジェナーが左の第一合唱の一列目の女性たちに歩み寄り話しかける。

52番。アリア。歌い終わると上の人たちと第一プルトのヴァイオリン奏者二人にもキスをして走り去っていく。

57番。バスが中央の箱に乗り、手前にヴィオラ・ダ・ガンバ左にコントラバス。

62番。ピアニッシモ!

64番。エヴァンゲリストは中央の箱の上に仰向けになっている。その頭の方でバスが歌う。

67番。ソプラノ、アルト、は座って、バスが箱を囲んでいる。

68番。終曲。合唱がどんどん中心へと寄って来る。最後中央の光も消える。

 全体の演出が今日はなんといっても。演奏があの素晴らしさで、それを損なわず、それが本当に凄い、あんな演出を披露してくれるとは。前回ベルリン・フィルがマタイ受難曲を演奏したのは1997年(アバド指揮)というから実に13年ぶり。今回のこの公演はラトルだからできたように思う。これだけの革新的な公演を行うのは。全体に彼の神経が行き届いていたようだった。素晴らしかった。

 一パート一人説とか、それもそれできれいだけど、初演の時は確かにそうだったのかもしれないが、これを聴いたらそれはもうどうでもいいだろう。希求する力が無くては。あと冒頭の合唱にはやっぱり少年合唱がほしい。良い合唱団が使えるならばやっぱりほしい。そしてそれがベルリンにはある。だから逆にバッハ・コレギウム・ジャパンがソプラノで代用するのはわかる気がする。あれはあれで良い、やっぱりプロはプロで聴かせてくれるから。

 ベルリン・フィル凄い。音程もかなり純度高し。アンサンブル能力がすごい。たいていのアリアの際にはラトルは指揮していなかったくらいだ。座ってまかせっきり。指揮台にも椅子が付いていた。後ろの手すりの真ん中二本のパイプにちょこんと接続したもの。ヴィオラ・ダ・ガンバが前に出てソロの時はど真ん中のその席に座って聴いている。それにしてもこの公演は細部のテンポ・表現にいたるまで意思の疎通がしっかり行われているようだった。渾身の上演だったように思う。レヴェルの高さを見せてくれた。意外にもあまり期待していなかったこの公演で改めて素晴らしさを思い知った。

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