フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

アンネ・ゾフィー・ムター&オーキス 2010年6月11日 フィルハーモニー

2010年6月11日(金)Anne-Sophie Mutter PH

Lambert Orkis Klavier

Claude Debussy  Sonate für Violine und Klavier g-Moll

Mendelssohn  Sonate für Violine und Klavier F-Dur

Brahms  Sonate für Violine und Klavier Nr. 3 d-Moll op. 108

Pablo de Sarasate  „Carmen Fantasie“ über Themen von Georges Bizet

立ち見席15ユーロ

アンコール3曲、知らない、知らない(メンデルスゾーンって言ってたか?聴こえなかった、静かな曲)、ハンガリー舞曲5番

 

 いやぁインターネットで確認して売れ切れだったけどだめもとで行ってみて良かった。ちょうど一時間前についてそこそこの列ができてたからとりあえず並んで様子を見てたら立ち見席がまだいま売りだされてるとのことで自分の番まで回って来るか少し心配したけどわりとあっさり買えた。立ち見席15ユーロ。いやいや、もう全然良いです。やっぱり現場に実際来てみるに限る。何か起こる可能性がある。外でブレーツェル(というパン)を食べて戻ったら売り切れになってた。ふー。世紀のヴァイオリン奏者(ドイツの音楽番組で)といわれるムターだからな。ポディウム席(舞台上、オーケストラの打楽器のすぐ後ろに配置された座席)にもたくさん。ほんとにたくさん。満席。一人で、って言ったらピアニストにはかわいそうだけど実際そうだろう、こんなに呼ぶとは。ベルリン・フィルという団体よりも多くの客をムター一人で呼んでいるようだ。

 会場の照明は暗い。舞台だけ明かり。もうちょっと客席の方も明るくしてほしかったけどまあそれはいいとして。みんな写真撮りまくり。ワールドカップ決勝のキックオフの瞬間かってくらいの、みんなフラッシュで。ちょっと人気がありすぎて、ここまで来るとなんかなあ。今日の客は本当に聴きたい人以外の人も多数いたように見えた。メンデルスゾーンの1楽章終わった後でなんとなく拍手するし。もちろんあまりに素晴らしい時は楽章間でもあえて拍手することはあるけども、それではなかった。サラサーテの2曲目終わった時も誰かがWowって言ったらそれで周りも笑って拍手が起きたけどできは1曲目の方が良かったんじゃないか。曲芸的な派手さにただ反応しただけの安い拍手。アンコールも、もちろんムターはやっぱり音が全然違くて凄いけど、そこまででもなかっただろと思うのだが。あまりの人気。もう盲目的になってる。ここまで来ちゃうとなんだかやだな。

 

 ムターの音。全然違う。もしかしたら今が彼女の全盛期かもしれないな。このあいだのクレーメルの件があったのでちょっとそう思った。まず、良い歌手と同じで音が大きい。深い、温かみがある。もちろん音程も良い。感情も上手く表出し抑制もされているというバランスの良さ。集中力がある。どの道ここまで来る人間は集中力あるんだろうけど。わざわざ比べる必要もないがあえて比べれば、ヒラリー・ハーンとはちょうど対極とはならずとも違う側にいるように感じた。そもそもの弾き方違うからだろうな。ハーンは一音一音一本の糸みたいにピーンと張ってる感じ。ムターはもっとその中に色がある。それは凄い、やっぱり年齢・経験の差を感じる(という言い方はあまりしたくないのだが)。でも仮に若い時の同年齢で比べたらハーンの方が上と言えるかもしれない。こういう比較自体が問題ありだけれども単純に比べたらそう思う。ムターが若い時にカラヤンと録音したモーツァルト5番なんか確かに素晴らしい音ではあるし、太陽のように照る素晴らしい明るい音を聴かせてくれるけれども、でもなんて幼稚な演奏。いかにも子供の演奏。まぁハーンの奏法が少し、人間でいうところのませてる感じなので違いが余計出るのかもしれないけど。

 聴いててひとつ思ったのが、ピアニスト凡人じゃないかっていう。いや、すでにここで、そしてムターと一緒に演奏してる時点で凡人ではないけども、演奏は凡庸だな。なんにも無いって感じ。何も感じない。ムター生かすために出すぎないようにして伴奏に徹してる面があったとしても。。。

 サラサーテの一曲目、途中の極端な高音のところは聴いたこともないような音、中に漂っているような。本当に音色が豊富。

今日見た感じだと背そんなに低くないな。ヒールが高かったのか?テレビだとすごい小さく見えたんだけどな。どうでもいいけど。

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