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フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

森鴎外記念館 2012年11月30日

Mori Ogai Memorial Museum

森鴎外記念館

東京メトロ千代田線「千駄木」駅1番出口、団子坂を登る方向に徒歩3分

文京区立森鴎外記念館 開館記念特別展

150年目の鷗外―観潮楼からはじまる

2012年11月1日-2013年1月20日 10:00-18:00

森鷗外

 こじんまりしているが新しく綺麗な建物でとても楽しめた。観潮楼とは森鴎外の旧居で、1892年から亡くなる1922年まで30年間にわたりそこで暮らしたが、その家は焼失してしまった。この森鴎外記念館はその跡地に建っている。観潮楼には石川啄木、斎藤茂吉、与謝野寛・晶子、永井荷風、正岡子規などが集まったという。

森鴎外記念館

(千駄木駅から歩いてくる通りにはこの裏側が面している。建物の正面・裏で言うと、こっち側が裏側ということらしいのだが…。)

 建物内は以下のようになっている。

森鴎外2

 展示室はB1Fだけでそれほど広くないが、たくさんの興味深い資料を見ながら鴎外の生涯を辿れるように構成されていてじっくり見学するとそれなりに時間がかかる。特に彼がどれほどドイツ語ができたかにはただ驚かされるばかり。それでいて/その上ドイツ留学のためヨーロッパに向かう2ヶ月弱の航海中には、漢文で日記を付けていた。その日記も展示されている。

 いくつも面白い資料があったが、鴎外が子供たちに付けた名前が面白い。於菟(おと)、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、不律(ふりつ)(夭逝)、類(るい)だ。それぞれ順に、Otto, Marie, Anne, Fritz, Louisというわけだ(類だけフランスの名前だが、これはドイツ語ではルートヴィヒになるのでそれだと日本語名として不自然になるといえばなる)。そしてその子供たち(つまり鴎外の孫たち)の中にも洋風の名前を見つけることが出来て面白かった。今でも/でこそたまに洋風の名前を見かけることがあるが、鴎外が自分の子供たちをそのように名付けた理由には自身の留学経験があるらしい。森鴎外の本名「森林太郎」の「りんたろう」はヨーロッパ人には少々発音しづらいようで鴎外自身が苦労したようだ。展示物にも実例といえるものがあって、ドイツ人からの贈り物に彫られていた名前が"Rintarau"となっていたりした。そうした経験から自分の子供達にはヨーロッパでも自然に通るような名前を付けた、ということのようだ(その内の茉莉、杏奴、類の3人は後にフランスへ渡っている)。

 見学後はカフェで休憩し記念館を後にした。小さくまとまった綺麗な空間で森鴎外の資料にふれることができ、とても楽しませてもらった。発見すること、感じることが多くあった。久しぶりに人に勧めたくなる場所だった。

文京区立森鴎外記念館

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