フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

ヴェルディ『マクベス』 2013年5月1日 東京文化会館 二期会 コンヴィチュニー

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<二期会創立60周年記念>
ヴェルディ『マクベス』 ライプツィヒ歌劇場との共同制作 

2013年5月1日 東京文化会館
二期会
東京交響楽団
指揮:アレクサンドル・ヴェデルニコフ
演出:ペーター・コンヴィチュニー

席5階R2列4番(後半は3階L3列32番)

 

 上野の文化会館で二期会のヴェルディ『マクベス』を観た。演出はペーター・コンヴィチュニー。彼の演出は2006年に新国立劇場で上演された『皇帝ティートの慈悲』以来2回目(当時はまだブログをやっていなかったので記録表だけ→私の観賞履歴表へ)。今回は(も?)知り合いの方にたまたまチケットもらい行ってきた。席は5階R2列4番。思いのほか観客が少なく後半は3階L3列32番に移る。

 まず演出ではなく元の脚本にかかわることだが、ヴェルディの『マクベス』ではシェイクスピアの原作の筋が飛ばされすぎて内容が若干薄っぺらく感じてしまう。これは舞台化・映画化には共通して言えることだと思うが…。

 コンヴィチュニーは観客の期待を良い意味で裏切ってくれるという期待を今回も裏切らなかった。開演前から舞台上全面端に正の字が書かれている黒板が置かれている。始まればすぐにわかるが、死者の数をカウントするためのものであった。舞台は背景が2005年ザルツブルク音楽祭の「椿姫」のような半円形のセットで全体として比較的簡素なもので好感が持てた。コンヴィチュニーはこの悲劇には、悲劇ということもあってか、あまり笑いの要素は盛り込まなかったようだ。それでも血しぶきを赤い紙吹雪で表現したり、マクベスの血塗られた手を赤い手袋をはめることで表現したりと、細かい部分に笑いを誘うような要素を入れることで絶妙なバランスを取っていたように思う。冒頭のベッド上でのマクベスと夫人のやり取りにおいても、「何をするか、わかってるわよね?」という部分も悲劇の始まりの文言を男女の性的なやり取りを連想させるように演出していた。この『マクベス』の演出でのこうした笑いを誘うような箇所の全般に言えることは、悲劇としての基調を壊すことのない範囲で、笑えるか笑えないかの線上、笑いと苦笑の間の範囲であったということである。これは最後まで一貫していたと思う。

 その他ごく細かいことで気になったのは(どうでもいいと言えばどうでもいいが)、ライフルの銃撃音である。歌手の動きと銃撃音をもう少し合わせてくれ。

 この演出には最後に面白い仕掛けがある。マクベスが敗れた後の祝福する威勢のいい音楽の最中に、魔女たちが離れたところで事の成行きを中継を通して覗き見ているように舞台がセッティングされる(これは冒頭でも登場した魔女たちの世界である)。するとその音楽を演奏するオケは鳴り止み(舞台が魔女たちの場に移り)中継画面に舞台後方で喜ぶ兵士たちが映し出されそのスピーカーから音楽(録音)が流れてきてそのまま幕切れとなる。観客はこのオペラの最後の部分の音楽を生で聴けないのだ。ここで幕が閉じたとき、客席には若干の苦笑が漏れたがそれなりに良い受け取り方だったように思う。私は、コンヴィチュニーやってくれたな、という感じだった。目一杯拍手した。魔女達は「マクベス」という悲劇を別の世界から傍観するものとして作品内に置かれた別の視点なのだ。それを演出家の方で潜在的に(演出家自己内完結的に「実はこうなんですよ」などという風に)設定しているのではなく、最初と特に最後に明示的に、すなわちヴェルディの幕切れ部分の音楽を録音で聴かされるという体験をもって衝撃的に認識させるという手法で示した。この幕切れの演出に対し観客がよい受け取り方をしていたように私が感じたのが正しいとすれば、それはこの演出のコンセプトが斬新かつ説得力のあるものであったからに違いない。この視点によって、この舞台上の「マクベス」は歴史の一コマにすぎない。歴史を眺めてきた魔女達からすれば数ある政変の一つである。これは歴史上の数々の政変を知る現代の私達の視点に相通ずるものと言えるだろう。こうした相対化の視点自体はもはやとりわけ珍しいくはないが、演出が素晴らしかった

補足:

 この記事を書き終えて、上に載せてあるプログラムを少しちゃんと読んでみた。非常に素晴らしかった。いつも二期会や藤原歌劇団のプログラムは大したことが書いていないという印象なのだがこれはよくできている。内容・装丁・校正からして読みながら一瞬だけ新国立劇場のオペラ上演のプログラムかと錯覚した。音楽評論家森岡実穂「作品と演出について」、ペーター・コンヴィチュニー「演出ノート」、翻訳家松岡和子「言語と言語のはざまで―戯曲翻訳の舞台裏」、英文学者高橋宣也「ヴェルディが挑戦したシェイクスピア・オペラ『マクベス』―その諸相」が収められている。特に松岡和子はちくま文庫から出ているシェイクスピア全集の訳者として知られている。ここに挙げた解説はどれも非常に興味深くためになるものばかりだ。今までオペラを観に行って買ったプログラムの中で5本、いや3本の指に入るほど充実している。

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