フィルハルモニ記

ドイツ文化・思想の人がオペラ・コンサートなどの感想を中心に書いているブログ

モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』 クラウス・グート演出 アン・デア・ウィーン劇場 2015年10月16日

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L'incoronazione di Poppea
Oper in einem Prolog und drei Akten
Musik von Claudio Monteverdi
Libretto von Giovanni Francesco Busenello
In italienischer Sprache mit deutschen Übertitlen


Musikalische Leitung Jean-Christophe Spinosi
Inszenierung Claus Guth
Ausstattung Christian Schmidt
Licht Olaf Winter
Videodesign Arian Andiel
Choreographie Ramses Sigl
Sounddesign Christina Bauer
Dramaturgie Konrad Kuhn

Ottone Christophe Dumaux
Ottavia Jennifer Larmore
Nerone Valer Sabadus
Poppea Alex Penda
Seneca Franz-Josef Selig
Drusilla Sabina Puértolas
Nutrice, Ottavias Amme Marcel Beekman
Arnalta, Poppeas Amme José Manuel Zapata
Fortuna Viktorija Bakan (19., 21. & 23.10.) | Frederikke Kampmann (12., 14. & 16.10.)
Virtù | Pallade Natalia Kawalek
Amore | 1. Famigliare Jake Arditti
Damigella Gaia Petrone
Valletto Emilie Renard
Lucano | 1. Soldat | Konsul | 2. Famigliare Rupert Charlesworth
Liberto | 2. Soldat | Konsul Manuel Günther
Mercurio | Tribun | 3. Famigliare Christoph Seidl
Littore | Tribun Tobias Greenhalgh
Orchester Ensemble Matheus

座席 立ち見、後半 3.Rang1列36番

貴重なモンテヴェルディ作品の公演

 『ポッペアの戴冠』は初めて。5日前の10月12日にプレミエを迎えたこの『ポッペアの戴冠』は、『オルフェオ』(2011)、『ウリッセの帰還』(2012)に続くアン・デア・ウィーン劇場/クラウス・グート演出によるモンテヴェルディオペラ3作上演の締めくくりとなる。今日は3日目の上演。
 19時開演。開演35分前くらいに劇場に到着し、誰も並んでいないチケット窓口であっさり立ち見の券を買う。休憩が一度だけ入り終演は23時。最初の休憩まで約2時間、合計約4時間に及ぼうかという長丁場。ルネサンスの香りが残る初期バロックの質素かつ陰影のある響き、ネローネ、オットーネ、アモーレ3者のカウンターテノールの歌声を楽しんだ。そして演出も。

 テアター・アン・デア・ウィーン(Theater an der Wien)は3回目。その一室でかつてベートーヴェンが交響曲第3番「英雄」と『フィデリオ』を作曲した劇場。これまでに観たのは、グルックの『オーリード゙とトーリードのイフィジェニー』パイジエッロ『セビリアの理髪師』。どちらも良い上演だった。今日のモンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』と合わせて、これだけでもこの劇場の上演プログラムの傾向が少しわかる。

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開演前、立ち見左から。休憩中に立ち見ゾーンから出てすぐの廊下で、あるDameが私を見るや突然声をかけてきて、チケットをあげると。私には退屈過ぎるから、と言ってさっと行ってしまった。ありがたくもらい後半は4階真正面1列目に。ウィーン国立歌劇場での『パルジファル』の時にも同じことがあったが、ヨーロッパだとこういうことはわりと起こる。

 モンテヴェルディ(1567-1643)ともなるとオーケストラピットの中の様子もだいぶ違う。それもそのはず。『ポッペアの戴冠』がヴェネツィアで初演されたのは1642年、世界初のオペラとされるヤコポ・ペーリの『ダフネ』(1597年)からまだ45年。J. S. バッハ(1685-1750)とヘンデル(1685-1754)が生まれた年よりも40年以上も前、ヘンデルの『メサイア』(1742)初演から見るとちょうど100年も前だ。『フィガロの結婚』(1786)から『トリスタンとイゾルデ』(1865)の初演まででも80年ほどだから相当の時間的隔たりがある。
 私のこれまでのモンテヴェルディ体験は2回。どちららも『聖母マリアの夕べの祈り』(Vespro della Beata Vergine, 1610)。1回目はエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団(Orchestra of the Age of Enlightenment)による演奏で場所はベルリン・フィルハーモニー。2回目は RIAS室内合唱団&ベルリン古楽アカデミーによる演奏で場所はベルリンのゲッセマネ教会。ベルリン古楽アカデミーとRIAS室内合唱団による公演は特に素晴らしく、これまでのすべての鑑賞経験の中でも上位にくる(べルリンのゲッセマネ教会で、古楽器演奏団体の中でも非常に優秀なベルリン古楽アカデミーと、こちらも非常に優れた合唱団のRIAS室内合唱団という願ってもない組み合わせで聴くことができた『聖母マリアの夕べの祈り』。この曲をこの水準(オケ・合唱団・場所)で聴けるチャンスは(自分の鑑賞生活の範囲では)多分もうないのではないかとすら思う)。

神々のTV-Show―死に至る愛

 演出はクラウス・グート(Claus Guth, 1964-)。ミュンヘンで哲学、ドイツ文学、演劇学、演劇・オペラ演出を学び、世界中の主要な歌劇場、音楽祭で演出を手掛けるグートは現代で最も有名なオペラ演出家の一人と言える。自分が観た中では、昨年ウィーン国立歌劇場で観た『タンホイザー』が彼の演出だった。

 プロローグはテレビスタジオのようなところで始まる。幸運/運命(Fortuna)、愛(amore)、徳(Virtù)、それぞれの神が並び、世界への影響力を競う。この3者は多くの場面で舞台に現れ、劇の進行を操っているかのように振る舞う。現実世界をひとつ上の視点から見ている位置づけになっている。

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© Monika Rittershaus ネローネ、ポッペア

 休憩は第2幕でセネカが自害するところで一度だけ入る。セネカが自害する直前の場面での3重唱中の俗で滑稽な振付をはじめ、振付師も活躍。
 ネローネはいつも狂ったように動き回ったりしていて普通ではない印象を与える。セネカが横たわり血で真っ赤に染まった浴槽の水をワイングラスですくって飲んだりと、ネローネは精神病質者のように描かれている。これに呼応するように、各場間に即興の不協和音が挿入される。

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© Monika Rittershaus ネローネ、ポッペア

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© Monika Rittershaus ネローネ、アモーレ

 ポッペア殺害を試みたオットーネは国外追放。ドルジッラは彼についていく。オッターヴィアも追放される。そしてポッペアの戴冠。ネローネの妻となるポッペア。しかしそこでネローネは急にポケットから拳銃を取り出し、ポッペアを撃ち、ポッペアの亡骸に身を寄せながら自分の頭も撃ちぬき倒れる。

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© Monika Rittershaus 最後の場面でアフリカ大陸のパネルが外れているのはどういう意図だっただろうか

 最後の光景は悲劇的。ネローネもポッペアも死に、一瞬ワーグナー作品における死後の永遠の愛を思わせなくもないが、そこにTreue(忠誠)や救済があるわけではないし、そもそもネローネがポッペアを殺害する動機が判然としない。演出としては面白い。演奏の方もこの演出に対応した、極度のデフォルメを伴った演奏になっている。「普通に」演奏すれば、結ばれた二人の愛の余韻を残しながら徐々に消えていくようなところだが、それがこの演出・演奏では狂気のネローネの錯綜した頭の中に見えているイメージを見ているかのようだった。この結末は、人間界の物語の結末としてはよいとしても、それを囲む枠構造的に上位の視点として位置づけられている神々、特に舞台を支配してきたamoreとの関係はどうなるであろうか。amoreの支配する舞台上でネローネとポッペアの2人が死に向かう劇が描かれたとすれば、amoreとはいったい。

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© Monika Rittershaus

 観る者にいろいろ考えさせる演出。TVスタジオに始まりそこで終わり、創作の音楽を入れたり、大胆奇抜な振付をしたり。一般的に「斬新」、「奇抜」と言われるような演出であろうが、私はこういったことを思いつき考え抜き実行する演出に好意的だ。評論を読むと、プレミエでは終わってすぐにはブーもありつつの賛否競い合う状況だったとのこと。今日は1人だけブーを叫ぶ人がいたが、ブーが出たと言うよりブーを言う人がたまたま1人いたという感じ。多くのお年寄りの観客も大きな拍手にブラヴォーを送っていた。

演奏

 演奏はやや下手だった。それでも当時はこんな感じで演奏してただろうななどと思いながら聴きつつ徐々に慣れていった。プロローグが始まったときは頼りない演奏においおいと思ったが。
 それでも上演を進めていく一担い手として見たとき、創作した音楽の挿入、極端なデフォルメ演奏などとても面白かった。演出面からの要請で、各場間で自由に完全に創作した音楽を挿入していたのは、劇の進行上とても効果的だったと思う。モンテヴェルディの音楽に似ても似つかない、不穏な不協和音が響く。一瞬現代音楽に切り替わったかのようだった。劇の場面をつなぐ役割を上手く果たしていたと思う。最後、ネローネがポッペアを撃ち自分の頭も撃ち抜く場面でも、音価を極端に短くし音型ごとにぴたっと止める。時間のながれに淀みができたようで、ネローネの頭の中の図像・イメージがぶつ切りになりながら連なって消えていくかのような効果を上げていたのは面白かった。

歌手

 ネローネ、オットーネ、愛の神アモール役のカウンターテナーを中心に、演技面を含め総合的に悪くなかったが、どの歌手も音程がかなり不安定な個所が多々あった。観ている間はその辺は気にせず劇に集中したが。個人的にはカウンターテナーの歌唱を多く聴くことができそこで楽しめた。これだけ長い時間カウンターテナーを聴くことはなかなかない。モンテヴェルディの旋律でその歌声を聴くだけでも今日の上演に来た甲斐があったと思える。と同時に、これはさすがに日本では無理だなとも思いつつ。
 今日特に聴けて良かったのは、ネローネを歌った29歳のカウンターテナー、ヴァラー・サバドゥス(Valer Sabadus, 1986-)。ドイツとの国境近くルーアニアのアラドに生まれ、5歳のときにドイツに移住。ヴァイオリンとピアノを習い、17歳のときにミュンヘン音楽・演劇大学で声楽(カウンターテノール)を学び始める。2009年、23歳でザルツブルク復活祭音楽祭に出演(ニコロ・ヨメッリ『デモフォンテ』、指揮ムーティ)、その名を知られるようになる。以降、各地の歌劇場で出演。最近の受賞はEcho Klassik 2015 - Solistische Einspielung des Jahres (Gesang/ Opernarien)。
Valer Sabadusのウェブサイト
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© Henning Ross

 本人のウェブサイトにも載っている動画から以下の2つを紹介。

Stars von morgen arte 2012 音楽番組"Stars von morgen"でビリャソンがドイツ語で司会。曲はMozart "Deh, per questo istante solo"。フランス語同時通訳。フランス語が邪魔(フランス語話者の人すいません)


XERXES 2015
「この高い声はトレーニングと素質が混ざり合ったものです。普通の男性が女性をまねて例えばこういう風に"Hallo"と発声する時、声はここ[頭]から始まっていて[音の出どころが]首辺りで止まっています。ただ頭からしか出ていない歌唱で、体全体と結びついていません。カウンターテノールとして歌うには、本当にすべてを、すべてを使うことを学ばなければなりません」(1:06-)。曲は"Ombra mai fù"。ドイツ語

↓Echo Klassik 2015 - Solistische Einspielung des Jahres (Gesang/ Opernarien)受賞CD。

Le belle immagini

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